斎藤恒(読み)サイトウ ヒサシ

20世紀日本人名事典 「斎藤恒」の解説

斎藤 恒
サイトウ ヒサシ

明治〜昭和期の陸軍中将



生年
明治10(1877)年11月16日

没年
昭和28(1953)年3月8日

出生地
石川県

学歴〔年〕
陸士(第10期)〔明治31年〕卒,陸大〔明治40年〕卒

経歴
明治40年参謀本部勤務となる。44年北京駐在を命ぜられ、以後は中国情報の専門家として上海駐在・吉林督軍顧問・参謀本部課長などを歴任。大正12年陸軍少将。14年関東軍参謀長に補任されるが、昭和3年6月に関東軍高級参謀らによる張作霖爆殺事件が起こると、事件と無関係ながら責任をとって東京湾要塞指令官に左遷された。4年陸軍中将となり、予備役編入。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「斎藤恒」の解説

斎藤恒 さいとう-ひさし

1877-1953 明治-昭和時代前期の軍人
明治10年11月16日生まれ。参謀本部課長などをへて,大正14年関東軍参謀長となる。昭和3年張作霖(ちょう-さくりん)爆殺事件の責任をおわされ,東京湾要塞(ようさい)司令官に転じた。陸軍中将。昭和28年3月8日死去。75歳。石川県出身。陸軍大学校卒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

今日のキーワード

カイロス

宇宙事業会社スペースワンが開発した小型ロケット。固体燃料の3段式で、宇宙航空研究開発機構(JAXA)が開発を進めるイプシロンSよりもさらに小さい。スペースワンは契約から打ち上げまでの期間で世界最短を...

カイロスの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android