20世紀日本人名事典 「新田融」の解説 新田 融ニッタ トオル 明治期の無政府主義者 大逆事件連累者。 生年明治13(1880)年3月12日 没年昭和13(1938)年3月20日 出生地宮城県仙台 出身地北海道小樽市 経歴機械工として働き、明治42年青森県の官営製材所から長野県の明科製材所へ転勤、同僚の宮下太吉の影響を受け無政府共産主義に共鳴。天皇暗殺の陰謀には加わらなかったが、宮下の依頼で爆弾用ブリキ缶を作ったということで、43年の大逆事件で起訴され、爆発物取締罰則違反で10年の刑に処せられ、秋田監獄に服役。大正5年仮出獄。 出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「新田融」の解説 新田融 にった-とおる 1880-1938 明治時代の工員。明治13年3月12日生まれ。長野県明科(あかしな)製材所の機械工。宮下太吉にたのまれて爆弾用ブリキ缶をつくったことで明治43年大逆事件に連座し,翌年懲役11年の刑に処せられた。大正5年仮出獄。昭和13年3月20日死去。59歳。宮城県出身。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by
367日誕生日大事典 「新田融」の解説 新田 融 (にった とおる) 生年月日:1880年3月12日明治時代の機械職工;無政府主義者1937年没 出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報 Sponserd by