新稲村(読み)にいなむら

日本歴史地名大系 「新稲村」の解説

新稲村
にいなむら

[現在地名]箕面市新稲一―七丁目・箕面八丁目など

瀬川せがわ村・半町はんぢよう村の北にあたり、六個ろつか(法恩寺松尾山とも、三九五・九メートル)の南麓に広がる。近世初頭に開発された村で豊島てしま郡に属する。古くは奈伊良野ないらのとよばれた芝地であったが、川辺かわべ加茂かも(現兵庫県川西市)の出身という卜斎(四郎兵衛)が、元和七年(一六二一)この地の開発を江戸表に願出て以降、近隣農民によって開発された(池田家文書)。村名は寛永四年(一六二七)の検地終了後、代官所から新稲村と命名されたという(同文書)が、寛永一〇年の萱野の内西野開畠定書(稲治家文書)に「ないら村」とみえている。寛永四年の奈良野新開検地帳(同文書)によると田・畑・屋敷面積二一町六反余、石高一四一石余で、入植した名請人は卜斎を含めて二八名を数える。このうち卜斎の名請地は二町八反余、他の者は多くて六反弱。寛永一四年卜斎宛に新稲村惣中二六名が差出した一札(池田家文書)に、われわれは卜斎の下百姓として入植したのであるから、卜斎の命に背くことはない、また背くことがあれば所払いにされてもかまわない、開発に際して牧落まきおち村・さくら村との間で起こった争論に要した費用について、今は支払えないが順次返済する、われわれが年貢を支払えない場合、代納さらには飯米まで合力してくれて有難いなど誓約しており、卜斎の新稲村における地位が知られる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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