新蔵町(読み)しんくらまち

日本歴史地名大系 「新蔵町」の解説

新蔵町
しんくらまち

[現在地名]洲本市本町ほんまち一―四丁目・山手やまて二丁目

八幡宮前はちまんぐうまえの北にある東西の通りで、北の細工さいく町の通りと並行する武家地。東端は洲本城山下居館の前から北へ延びる武家地御門ごもん筋で、西端は禅宗吸江きゆうこう寺前なか堀に至る。東から武家地水筒すいどう丁・中屋敷なかやしき南北の通りが各々交差し、両通りの間で武家地千石せんごく丁が北へ分れる。町名は水筒丁と交わる地点北東角に新御蔵があったことにちなむ(「味地草」など)。新御蔵は寛文一一年(一六七一)桜木新兵衛という高取士の屋敷跡(「味地草」は長谷川甫庵邸跡とする)に設置された(淡路草)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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