新野庄(読み)にいののしよう

日本歴史地名大系 「新野庄」の解説

新野庄
にいののしよう

瑞渓周鳳の「臥雲日件録」文安五年(一四四八)八月一九日条にニイノとあり、琵琶法師最一の話として、「平家物語」一二巻の作者が鎌倉時代前期の儒学者菅原為長で、播磨国ニイノにいたこと、のち性仏という者が節をつけて詠歌するようになったことを記録している。年未詳九月一九日の別所家敏書状(上月文書)によれば、永良氏が新野庄の代官職を別所(福原)家敏に委ねていた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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