於与岐村(読み)およぎむら

日本歴史地名大系 「於与岐村」の解説

於与岐村
およぎむら

[現在地名]綾部市於与岐町

何鹿いかるが郡の北端伊佐津いさづ川上流の山間部に位置し、大俣おおまた(丹後峠)または見内みうち峠を経て丹後国加佐郡池内下いけうちしも(現舞鶴市)に通ずる。

中心は中川原なかかわらで枝村としてしも・大俣(股)・見(箕)内の三ヵ村があり、合わせて於与岐四箇ということがある(丹波負笈録)

地名は寛正二年(一四六一)の何鹿郡所領注文(安国寺文書)に「於与記」とみえるのが早い。中世の八田やた郷に属し、その東谷(東股)の北部域。

慶長四年(一五九九)八月、荒木勘十郎に「およき村」二〇〇石が宛行われている(毛利家文書)。次いで同六年の御知行方目録(山家藩庁文書)にも同高「およぎ村」と記される。江戸初頭は山家藩領、寛永五年(一六二八)旗本梅迫谷氏領となる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

苦肉の策

敵を欺くために、自分の身や味方を苦しめてまで行うはかりごと。また、苦しまぎれに考え出した手立て。苦肉の謀はかりごと。「苦肉の策を講じる」...

苦肉の策の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android