日本歴史地名大系 「日ヶ谷村」の解説 日ヶ谷村ひがたにむら 京都府:宮津市日ヶ谷村[現在地名]宮津市字日ヶ谷岩(いわ)ヶ鼻(はな)から犀(さい)川に沿って外垣(とのがき)を過ぎ、西北に谷間を上った所の村。立(たち)・大西(おおにし)・牧(まき)・藪田(やぶた)・落山(おちやま)・厚垣(あつがき)などの散在する集落を一括して日ヶ谷という。慶長検地郷村帳に三二七・七石「火ケ谷村」とみえるが、延宝三年郷村帳に「日ケ谷村」と記される。延宝九年(一六八一)の延高により四二四石余となった(天和元年宮津領村高帳)。幕末期の戸口は二五九軒、一千三五一人(与謝郡誌)。当地の地久山天長(てんちよう)寺(臨済宗妙心寺派)は威光(いこう)寺の後身と伝える。南方谷間、小字森(もり)ノ上(うえ)に威光(いこう)寺跡と伝える所がある。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報