日光奈良部村(読み)につこうならぶむら

日本歴史地名大系 「日光奈良部村」の解説

日光奈良部村
につこうならぶむら

[現在地名]鹿沼市日光奈良部町

くろ川が東部を南流し、東は上奈良部かみならぶ村・下奈良部村、南は奈佐原なさはら村、西は樅山もみやま村、北は上殿かみどの村。元禄郷帳に「古下奈良部村」と付記され、下奈良部村から分村して成立したと考えられる。元禄九年(一六九六)の奈佐原町助郷帳(黒川佐平文書)に村名がみえ、勤高一八四石。元禄郷帳でも高一八四石余、旗本仁木守興領。改革組合村・旧高旧領取調帳では旗本仁木二家の相給。仁木守興は元禄一二年都賀つが郡のうちにおいて二千石知行していたが、同一五年五〇〇石を弟守信に分知しており(寛政重修諸家譜)、当村は元禄一五年から仁木二氏の相給となったと考えられる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

4月1日の午前中に、罪のないうそをついて人をかついでも許されるという風習。また、4月1日のこと。あるいは、かつがれた人のこと。四月ばか。万愚節。《季 春》[補説]西洋もしくはインドに始まる風習で、日本...

エープリルフールの用語解説を読む