デジタル大辞泉
「鹿沼市」の意味・読み・例文・類語
出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例
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鹿沼市
かぬまし
面積:三一一・七四平方キロ
県の中央部からやや南西に位置し、東は宇都宮市、北は今市市・日光市、西から南にかけて上都賀郡足尾町・粟野町・西方村、下都賀郡壬生町に接する。西部は足尾山地とその南東部の分離丘陵からなる丘陵地帯、その東は黒川・小藪川などによって形成された扇状地、東部は黒川・行川の浸食作用によって形成された河岸段丘となっている。東寄りを黒川が南流する。北西部から夕日岳・地蔵岳を水源として大芦川が南東に流れ、並行して流れる荒井川・南摩川を合せ、市南端で小倉川に合流する。また東端を武子川が南流する。東北自動車道が東部を通るほか、国道二九三号・三五二号が南北に走り、鉄道としてJR日光線・東武日光線が通る。
〔原始・古代〕
分離丘陵や台地の周縁部に先土器・縄文・弥生各時代の遺跡が散在する。先土器時代の遺跡としては、玉田町の坂田北遺跡があり、黒曜石を主体とする石器類が出土。縄文時代草創期を含む早期や前期前半の遺跡は西部の丘陵縁にある。後半の遺跡は東部の台地に入り込んだ開析谷に臨む台地縁に多い。中期のものは東部の台地地帯に多く、後期のものは西部から東部にかけて普遍的にみられ、低い台地縁や段丘上・丘陵麓の平坦な場所に立地。晩期は低地のほか、早期の遺跡に重複して高い丘陵縁にもみられる。坂田遺跡は縄文時代早期の住居跡と考えられる遺構が確認された。市街西の坂田・山畑・女体山遺跡から山形押型文土器が、岩下遺跡からは楕円押型文が発見されている。弥生時代の遺跡は茂呂川西遺跡・藤木遺跡など数多く、ほとんどが縄文時代との複合遺跡。茂呂川西遺跡は弥生時代初頭と考えられている。古墳は高谷古墳群・西茂呂古墳群・藤江古墳群、判官塚古墳群・酒野谷古墳群など一六の古墳群が確認される。最古のものは藤江のゴルフ場内古墳群の円墳である。古墳時代後期末の前方後円墳に狼塚古墳がある。西部に広がる古峰原は日光開山の勝道が修行した地と伝える。出流山から日光山に至る山岳地域は峰修行の場となっており、石裂山もその一つと考えられ、山の東側に加蘇山神社がある。同社は「三代実録」元慶二年(八七八)条にみえる下野国賀蘇山神とも推定される。
〔中世〕
日光山往古社領六十六郷の那羅部・苻所・押原・玉田・美濃・富岡・花岡・西鹿沼・栃窪・板荷・南摩・籾山・大蘆などの郷が現市域に比定される。また犬懸御所が寄進した日名田郷、宇都宮忠綱が寄進した久賀郷も現市域内に比定される。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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鹿沼〔市〕
かぬま
栃木県南西部,足尾山地東斜面から下野平野を占める市。1948年市制。2006年粟野町を編入。中心市街地の鹿沼は天文1(1532)年頃,壬生氏が鹿沼城主となってから城下町,市場町として発達。近世は日光例幣使街道の宿場町,麻の取引地として繁栄。製材,木工業,繊維,金属機械工業などが発達。鹿沼建具,園芸用の鹿沼土,サツキの産地として知られる。農村部では,米,イチゴ,コンニャクなどを産し,畜産も行なわれる。北西部の古峰原に古峰神社がある。1月に西部の上粕尾で行なわれる発光路(ほっこうじ)の強飯式(ごうはんしき),10月に市中心部の今宮神社で行なわれる例大祭は「鹿沼今宮神社祭の屋台行事」として国の重要無形民俗文化財に指定されている。鹿沼今宮神社祭の屋台行事はまた,2016年に「山・鉾・屋台行事」の一つとして国際連合教育科学文化機関 UNESCOの世界無形遺産に登録された。市域の北西部は前日光県立自然公園に属する。JR日光線,東武鉄道日光線,国道121号線,293号線,352号線,東北自動車道が通り鹿沼インターチェンジがある。面積 490.64km2。人口 9万4033(2020)。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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