日本歴史地名大系 「日南多谷」の解説 日南多谷ひなたがや 静岡県:小笠郡大東町上土方落合村日南多谷現在の上土方落合(かみひじかたおちあい)字日向(ひなた)ヶ谷(や)一帯に比定される。土方上郷のうち。延徳二年(一四九〇)二月六日の浅羽幸忠寄進状(華厳院文書、以下断りのない限り同文書)では曹洞宗華厳(けごん)院に日南多谷の田地一〇段余と日南多谷山を寄進している。田地は五ヵ所で小三郎垣内・不咲・毘沙門前後・殖松下・塔之尾下などとみえる。日南多谷山の四至は東は一本松嶺、南は立切峰、西は新右衛門山の峰、北は風吹嶺の道を境としている。天文一一年(一五四二)一〇月二六日、小笠原春茂は「日南多谷門前崎原田名田之内」五段を華厳院に寄進しているが(小笠原春茂寄進状)、同一三年七月一日にそれを確認した春茂の子氏興の寄進状では「日南多谷門前立切之内五段」とみえ、「立切」が日南多谷にある華厳院の門前地域の地名の一つで、「崎原田」という呼称とも重なりあっていたことがわかる(小笠原氏興寄進状)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報