日古木村(読み)ひこぎむら

日本歴史地名大系 「日古木村」の解説

日古木村
ひこぎむら

[現在地名]山陽町日古木・さくら丘西おかにし一―一〇丁目

二井ふたい村の東、すな川支流十七じゆうしち川の上流にある。慶長一〇年(一六〇五)備前国高物成帳(備陽記)鳥取ととり庄に日古木村とある。寛永備前国絵図では高三五三石余。貞享元年(一六八四)の赤坂郡高目録(池田家文庫)によると慶長九年検地があり、高三九六石余。貞享元年の荒などを引いた残高三四一石余。享保六年(一七二一)には田畠二二町余、家数五二・人数二五二、池九(備陽記)。文化年間(一八〇四―一八)には直高五八六石余、蔵入地と家臣七名の給地。残高三二二石余、田高二八〇石余・一七町二反余、畑高四一石余・四町二反余。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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