日本生命保険相互会社(読み)にほんせいめいほけん

改訂新版 世界大百科事典 「日本生命保険相互会社」の意味・わかりやすい解説

日本生命保険[相互会社] (にほんせいめいほけん)

日本を代表する生命保険会社で,保有契約高,収入保険料で世界第1位。本社大阪市中央区。1889年当時の第百三十三国立銀行頭取弘世(ひろせ)助三郎(1843-1913)により,有限責任日本生命保険として大阪に設立された。生命保険会社としては明治生命保険相互会社(1881設立),朝日生命保険相互会社(1888設立。当時は有限責任帝国生命保険会社)に次いで3番目に古い。それまで使われていた外国の生命表にかえて,東京帝大教授藤沢利喜太郎(1861-1933)に作成を依頼した日本最初の日本人の生命表〈藤沢氏第二表〉を活用したことで有名。1891年日本生命保険(株)と改称,98年には日本で最初の契約者利益配当を行い,99年末には契約高が2300万円を突破し業界第1位となり,その地位を今日まで保っている。その後も順調な発展を遂げたが,1927年の金融恐慌以降,業界再編の中で,42年に富士生命保険(1909設立),45年に愛国生命保険(1896設立)を合併した。第2次大戦の敗戦による在外資産喪失戦後インフレーションなどで大きな打撃を受けたが,〈金融機関再建整備法〉に基づき,47年日本生命保険相互会社として新発足した。収入保険料4兆8298億円(2005年3月期)。
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出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の日本生命保険相互会社の言及

【片岡直温】より

…のち,滋賀県警察部長。89年弘世助太郎と日本生命保険会社創立。92年,98年と1908年より代議士に6回当選。…

【保険業】より


[生命保険業の歴史]
 日本の生命保険業は,1881年明治生命保険会社(現,明治生命保険相互会社)の設立に始まる。明治20年代に入り,経済の安定を背景に,88年に帝国生命保険(現,朝日生命保険相互会社),89年に日本生命保険会社(現,日本生命保険相互会社)が相次いで設立され,明治20年代後半には,生命保険会社の数も20を超えた。その後,日露戦争を乗り切った生命保険業は,明治末から昭和初期にかけて順調に発展していった。…

※「日本生命保険相互会社」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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