インフレーション(読み)いんふれーしょん(英語表記)inflation

翻訳|inflation

日本大百科全書(ニッポニカ) 「インフレーション」の意味・わかりやすい解説

インフレーション
いんふれーしょん
inflation

ある程度の長期間にわたって物価が上昇し続ける現象。経済上とくに問題となるのは、悪性インフレーション、第二次世界大戦後一般化した慢性的インフレーション、そして1973年末のオイル・ショックに基づいて発生した世界的インフレーションの三つであろう。

[一杉哲也]

悪性インフレーション

戦時・戦後の混乱期などに、商品流通に必要な量以上に不換紙幣が乱発されて物価暴騰が起こったとき、これを悪性インフレーションまたは超インフレーションという。たとえば第二次世界大戦直後の日本のそれは、空襲などによって生産能力が半減し、かつ曲がりなりにも物価統制、配給制によって抑えられていた需要が敗戦によって爆発し、そこへ軍需会社への注文取消しに対する補償という名目で多額の日本銀行券が増発されたためにまず起こった。さらに復興金融金庫が日本銀行引受けで復興金融債を発行したことが、復金インフレーションとよばれる悪性インフレーションを広げた。このように不換紙幣の乱発がもとでインフレーションとなった歴史上有名な例としては、アッシニャ紙幣による大革命期のフランス、グリーンバック(アメリカ紙幣の俗称)による南北戦争期のアメリカ、マルク紙幣による両大戦後のドイツ、第二次世界大戦後の東欧などがある。

 インフレーションは社会に甚大な被害を与える。すなわち、(1)賃金はつねに物価に遅れてのみ上昇するから、勤労者に被害を与える、(2)金利生活者、年金生活者、生活保護世帯など、貨幣額が固定した収入で生活する人々を脅かす、(3)貨幣に対する信用がなくなるため貯蓄がなされず、換物行為が盛んとなり、これがいっそうインフレーションをあおる、(4)生産過程におけるより流通過程での価値増殖のほうが速くなるため生産が阻害され、闇(やみ)商人、投機者の跳梁(ちょうりょう)を許すことになる、(5)将来の見通しがたてられなくなるため設備投資などが行われず、それが生産性の停滞を通じていっそうのインフレーションをあおる、(6)こうした事態から、人心の退廃、刹那(せつな)主義の横行を招き、社会道徳が破壊される、等々である。

 こうした悪性インフレーションを収めるためには、なによりも貨幣的需要を抑えて生産とのバランスを回復させることが必要であり、そのためには通貨改革(デノミネーションなど)、預金封鎖モラトリアム)、超均衡財政、貯蓄増強などが考えられる。デノミネーションとしては、第二次世界大戦後のハンガリーで行われた40穣(じょう)分の1(1穣は10の28乗)の切上げが、世界最高であろう。増税による超均衡財政、貯蓄増強などによる政策はディスインフレーションdisinflationとよばれる。これは第二次世界大戦後イギリス労働党内閣が唱えたもので、急激な引締めでデフレーションに陥らないよう、高原状に物価を安定させることをねらったものである。日本でも、1949年(昭和24)に施策されたドッジ・ラインがこれにあたるとされる。

[一杉哲也]

慢性的インフレーション

悪性インフレーションとは別に、第二次世界大戦後、主要国は年4~5%程度ずつ物価が上昇する慢性的インフレーションないし「しのびよるインフレーション」creeping inflationに悩まされてきた。欧米におけるこのインフレーションは、一般にコスト・インフレーションcost inflationといわれている。それは完全雇用状態と強力な労働組合とを背景として、貨幣賃金が労働生産性の上昇率を上回って上昇し、それをカバーするために価格が引き上げられ、その物価上昇がさらに賃金引上げの原因となる形でインフレーションが進行するものである。このようなコスト・インフレーションを抑えるための政策としては所得政策が考えられるが、各国ともほとんどこれには成功しなかった。

[一杉哲也]

生産性上昇率格差インフレーション

日本でも1960年(昭和35)ごろから消費者物価の上昇が急激となったが、これを欧米と比べると様相がきわめて異なっていた。すなわち、欧米では卸売物価と消費者物価が並行して上がっていたのに、日本では卸売物価は1972年ごろまではきわめて安定しており、消費者物価だけが高騰していた。もし生産財産業消費財産業において同時にコスト・インフレーションが起こっていたなら、欧米と同様に両物価は並行して上がったはずである。

 日本の少なくとも1972年ごろまでの慢性的インフレーションは、生産性上昇率格差インフレーションといいうるであろう。すなわち、高度成長のために莫大(ばくだい)な資金需要が存在するが、企業における自己資金調達能力はきわめて弱く、金融機関の貸出に依存すること大である。これを供給する金融機関としては、その供給力に限界がある以上、貸倒れの危険の少ない、貸付コストの安い相手、すなわち大企業に集中して貸し付け、中小企業には容易に貸し付けない。かくて、借入のできる大企業は、設備投資を行って労働生産性を高め、これで賃金上昇を吸収していったが、借入のできない中小企業では、労働生産性を上げることが困難なため、いきおい製品価格の上昇で賃金引上げを賄わざるをえなかった。この結果、大企業製品の価格低下傾向と中小企業製品の価格上昇傾向とが相殺して、卸売物価は安定していた。一方、中小企業製品の比重が大きく、かつ本質的に生産性を上げることの困難なサービス業を含む消費者物価は上昇を続けることとなった。こうして日本の慢性的インフレーションは、大企業と中小企業との生産性上昇率に格差があることに基づくと考えられた。

[一杉哲也]

財政インフレーション

しかしその間、一種の財政インフレーションが進行していたことも指摘される。すなわち、戦後初めて赤字公債が発行された1966年2月から1年ののち、発行後1年たった銀行保有の国債は日本銀行が無条件に買い入れるという金融政策が行われることになった。これは保有国債を売却できない銀行の救済手段であったが、結果的には1年遅れの日本銀行引受けによる国債発行にほかならず、その分だけ民間の通貨が増大することとなり、オイル・ショック後の総需要抑制策の下に一時停止されるまで、インフレーションを助長したことは否定できない。

[一杉哲也]

マネタリズムの挑戦

ところで、先進資本主義国の財政・金融政策を支配しているとされたケインズ主義に対して、1960年代からマネタリズムといわれる新しい経済思想の挑戦が盛んになってきたが、マネタリストらは「しのびよるインフレーション」に対しても独特の解釈を与える。

 いまにおいて、労働生産性上昇がないと仮定し、横軸に失業率、縦軸に物価(貨幣賃金)上昇率を目盛ると、経験的に右下がりの曲線Aが得られる。いわゆるフィリップス曲線である。労働市場で失業率が高いと賃金上昇圧力が低く、したがって物価も上がらない。失業率が低ければ賃金上昇→物価上昇となるので、失業と物価とがトレード・オフ(二者択一)の関係にあるということを、この曲線は意味する。さて、a点から出発し、失業を減らすために財政支出などを増やせば、その代償としてある程度の物価上昇は容認しなければならない。これがケインズ主義の立場であり、それがb点で示されていたとしよう。

 マネタリズムは、これに予想を導入する。aからbまで労働供給を増やした労働者は、実は賃金上昇5%・物価上昇ゼロ、したがって実質賃金5%上昇という予想につられて雇われたのだとする。しかし賃金が上昇して、それが物価上昇5%を引き起こすと、労働者はやがて実質賃金上昇がゼロであることに気づく。すると労働供給は減少してc点が成立するであろう。一方、失業率を減らそうという政策が続けられ、より大きな財政支出が投下されるならば、d点すなわち賃金上昇率10%のところへゆく。すると労働者は、賃金上昇10%・物価上昇5%、したがって実質賃金上昇5%を予想して、労働供給を増やすであろう。するとフィリップス曲線は上にシフトしてBとなる。こう解釈してみると、a点より少ない失業率へケインズ主義政策によって減らそうとすると、賃金→物価の際限ない上昇が続くだけになる。これが現実のインフレーションであり、それはケインズ主義の所産にほかならず、インフレーションを抑えるためにはa点の失業率(自然失業率)を保つべきであるとする。

 マネタリズムの論点はこのほか多岐にわたっており、理論的にも多くの問題点があるが、オイル・ショック前後にかけて、主要国のフィリップス曲線が垂直になったり、右上がりになったりしている事実を、ある程度説明している。

[一杉哲也]

オイル・ショックによるインフレーション

1973年10月、第四次中東戦争に端を発した石油供給制限と石油価格引上げのショックは、全世界に波及してインフレーションと不況を巻き起こした。しかし日本では、オイル・ショック以前にすでにかなりの加速度的インフレーションが1972年(昭和47)ごろから起こっていたことに注意しなければならない。その原因の第一は過剰流動性である。1971年8月のニクソン声明以来、円切上げによる利益を見込んで日本に流入した外貨は100億ドルに達し、同年12月の円切上げ後も国内にとどまって、いわゆる過剰流動性となり、各種投機の資金に用いられた。第二は金融緩和である。ニクソン・ショックによって不況を予測した当局が大幅な金融緩和を行ったが、景気は1972年1月には早くも不況を脱し、余裕資金は投機に向かって流れた。典型的な信用インフレーションといえよう。第三は不況カルテルである。前記のように不況を予測した政府が、鉄鋼、石油化学などの不況カルテルを認めたが、時すでに好況期で、それら製品価格の高騰を招く結果となった。第四は「日本列島改造論」の発表であり、これが土地買占めをはじめとする投機とインフレーションのムードをつくることになった。以上のような政策ミスが重なって、かなり物価が上昇していたところへオイル・ショックが追い討ちをかけたわけである。

 オイル・ショックは、第一に、先進国に輸入原燃料価格上昇→製品価格上昇→需要減少→生産停滞という波及を生じた。多くの国がインフレーションを抑えるために需要抑制策を強行したことが、前記の過程をさらに深刻化させ、世界的な不況が現出した。従来の好況=物価上昇の事態に比べて、不況=物価上昇の異常事態が現れたので、これをスタグフレーションstagflationという。第二に、産油国には石油輸入国から巨大な所得移転が生じ、それが先進工業国からの工業製品(それはすでにコスト高によって高騰している)輸入増をもたらして、産油国の物価を上昇させる。ところが、それ自体が石油収入の実質購買力を減らすから、石油価格上昇を加速化することになるという悪循環が生じた。第三に、石油を産出しない発展途上国では、先進国からの輸入品の高騰が輸入インフレーションを引き起こし、国際収支の赤字が発生した。石油産出国→先進国と流れるオイル・ダラーが非産油途上国へ貸し付けられる限り、この赤字は穴埋めされるが、それにはおのずから限界があり、非産油途上国の信用不安は募る一方である。そして外貨不足→輸入必需品不足→生産停滞→インフレーションが一般化している。第四に、こうした事態が社会主義諸国にも波及して、物価上昇と生活水準の停滞ないし低下が著しい。

[一杉哲也]

輸入インフレーションと国産インフレーション

ところで、ある国のインフレーションは、輸入インフレーションと国産インフレーションに分けることができる。いま輸入品が海外市場で高くなれば、為替(かわせ)相場が不変でも、その国内価格は高くなる。また、海外市場での価格が不変でも、為替相場が下落すれば、輸入品の国内価格は高くなる。後者が為替インフレーションといわれるもので、アルゼンチンのインフレーションなどがこの典型といわれる。両者をあわせて輸入インフレーションという。

 こうして高くなった輸入品が産業用原燃料であったとしよう。川上の工場で使う輸入原料が値上りしたとき、その値上り分だけ製品価格を上げて川中の工場に売り、そこも値上り分だけ製品価格を上げて川下の工場に売る……という形ならば、川下の工場が生産する消費財価格の上昇は、軽微にとどまるであろう。さらに川上の工場が、省エネルギーなどによって輸入品の値上り分を相殺できれば、消費財価格はまったく上がらない。これは国産インフレーションがない場合である。次に、川上の工場で輸入原料の値上り率だけ製品価格を上げたとしよう。つまり付加価値(賃金と利潤)も上げてしまうのである。川中の工場もこれに倣(なら)って、原材料の値上りだけでなく、付加価値も上げる形で製品価格を上昇させて川下に売る……とやっていけば、消費財価格は輸入品値上り率に等しく上がってしまう。これが国産インフレーションである。日本の第一次オイル・ショック時(1973)や、アメリカのインフレーションがこれであるとされ、日本の第二次オイル・ショック時(1978)には国産インフレーションがなかったことが指摘されている。

 このように現代におけるインフレーションは、国際価格、為替相場、賃金、利潤、財政、金融、政治など、経済体制のすべての局面にかかわる現象となっている。

[一杉哲也]

『F・ハーシュ、J・H・ゴールドソープ編、都留重人監訳『インフレーションの政治経済学』(1982・日本経済新聞社)』


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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「インフレーション」の意味・わかりやすい解説

インフレーション
inflation

貨幣の購買力が実質的または長期的に低下すること。一般物価指数の上昇に具体的に現われる。その逆がデフレーションである。インフレーションの語源はアメリカ南北戦争の戦費調達手段として乱発されたグリーンバックス (緑背紙幣) の価値下落にあるとされる。しかしインフレーションという現象そのものは,有史以来普遍的なものであった。 A.フィリップスは貨幣賃金上昇率と失業率との相互関係を導き出した (→フィリップス曲線 ) 。インフレーションは各物価への波及速度の違いから,所得分配の不公正を惹起しやすいため,その抑制は経済政策の重要な関心の一つとなっている。インフレーションの原因については,(1) (貨幣) 数量説,(2) 所得・支出説あるいはデマンド・プル説,(3) 供給説あるいはコスト・プッシュ説の3つの理論がある。

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