日本歴史地名大系 「日蔭町一丁目」の解説 日蔭町一丁目ひかげちよういつちようめ 東京都:港区旧芝区地区日蔭町一丁目[現在地名]港区新橋(しんばし)二丁目明治五年(一八七二)に成立した町で、芝口(しばぐち)一丁目の南に位置する。幕末には豊後岡藩中川家中屋敷があった。町名は江戸期に芝口二丁目から宇田川(うだがわ)町までの西側に作られた裏新道を里俗に日蔭町(日影町)と唱えたことに由来する(東京府志料)。当所は古くより武家地であり、寛文―延宝(一六六一―八一)頃は北に豊後岡藩中川家上屋敷、南は岡部志摩守屋敷が置かれているが、元禄年中(一六八八―一七〇四)岡部志摩守屋敷は南に隣接する片桐家屋敷へ囲い込まれた。宝永年中(一七〇四―一一)に片桐家屋敷のうち北側を中川家上屋敷が囲い込み、以降幕末まで変化はない。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報