日詰通
ひづめどおり
盛岡藩の代官統治区域の一。設置年代は不明であるが、「岩手県史」は、寛文六年(一六六六)から天和三年(一六八三)までに藩領の検地が行われ、その結果三三通が確定したと推定している。寛文一二年の滝名川引水村高覚(佐藤文書)に「日詰通代官大槻八郎兵衛・栃内金左衛門」とみえる。当初郡山地区は東根通・中通・西根通の三代官所に分れていたが(雑書)、同年盛岡藩と八戸藩志和通の境界に境塚が築造された後、日詰・徳田・伝法寺・長岡の四代官所に改編されたものと推定される(紫波町史)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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