旧湊村地区
きゆうみなとむらちく
猪苗代湖の西岸一帯あたり、西側には南の会津布引山より緩やかに北へ傾斜する背あぶり高原がある。当地区は古来より中通りから会津へ入る交通路であった。天正一八年(一五九〇)豊臣秀吉の命により白河街道が整備され、秀吉はこの道を通り、背炙山を越えて会津に入っている。のちに滝沢峠を経由する滝沢新道が原村まで完成した。近世を通じて全村会津藩領で、初期には滝沢組に属し、滝沢山組とも称していたが、寛文七年(一六六七)分れて原組となった。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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