旧湊村地区(読み)きゆうみなとむらちく

日本歴史地名大系 「旧湊村地区」の解説

旧湊村地区
きゆうみなとむらちく

猪苗代湖の西岸一帯あたり、西側には南の会津布引あいづぬのびき山より緩やかに北へ傾斜するあぶり高原がある。当地区は古来より中通りから会津へ入る交通路であった。天正一八年(一五九〇)豊臣秀吉の命により白河街道が整備され、秀吉はこの道を通り、背炙せあぶり山を越えて会津に入っている。のちに滝沢たきざわ峠を経由する滝沢新道がはら村まで完成した。近世を通じて全村会津藩領で、初期には滝沢組に属し、滝沢山組とも称していたが、寛文七年(一六六七)分れて原組となった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

関連語 北会津郡 港町

一月五日ごろから二月二、三日ごろの、小寒、大寒合わせた約三〇日間。寒中(かんちゅう)。《 季語・冬 》[初出の実例]「寒(カン)の中 薬喰 声つかふ 酒作 紅粉(べに) 門垢離(かどごり)」(出典:俳...

寒の内の用語解説を読む