日本大百科全書(ニッポニカ) 「旧芝離宮庭園」の意味・わかりやすい解説
旧芝離宮庭園
きゅうしばりきゅうていえん
東京都港区海岸1丁目にある庭園。この地には寛永(かんえい)年間(1624~44)に当時会津若松城主の加藤嘉明(よしあき)が邸第をつくり作庭していた。その後、元禄(げんろく)年間(1688~1704)に小田原城主大久保忠朝(ただとも)の所有になり、大久保氏の手により修増された。さらに宝暦(ほうれき)年間(1751~64)に清水家徳川斉順(なりゆき)の邸となり、明治維新のころには紀州徳川家の所有になった。1871年(明治4)有栖川宮(ありすがわのみや)家控邸となり、75年8月には皇太后陛下の非常御立退所として宮内省所管となり、翌年2月離宮となった。1924年(大正13)東京市に下賜され、今日では東京都が管理している。本庭は池泉回遊と舟遊様式を兼ね、中島があり、これに栗石(くりいし)敷があるのは寛永の意匠である。中島は二重洲浜(すはま)で、これは最初海水が池泉に入っていたためである。築山(つきやま)の石組(いわぐみ)は荒廃しているものの、豪快で、意匠・技術ともにみごとである。また切石橋や枯滝石組も優れた意匠である。国指定名勝。
[重森完途]