寛永(読み)カンエイ

大辞林 第三版の解説

かんえい【寛永】

年号(1624.2.30~1644.12.16)。元和の後、正保の前。後水尾ごみずのお・明正めいしよう・後光明ごこうみよう天皇の代。

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日本の元号がわかる事典の解説

かんえい【寛永】

日本の元号(年号)。江戸時代の1624年から1644年まで、後水尾(ごみずのお)天皇、明正(めいしょう)天皇、後光明(ごこうみょう)天皇の代の元号。前元号は元和(げんな)。次元号は正保(しょうほう)。1624年(元和10)2月30日改元。1624年は甲子(かっし)の年にあたり、徳を備えた人に天命が下される革令(かくれい)の年で変乱が多いとされることから、先例にならい、甲子革令を防ぐ目的で改元が行われた。なお、前年に徳川家光が征夷大将軍に任じられたが、将軍の代始を改元の事由にしようとした江戸幕府の意向、とする説もある。『毛詩朱子注(もうししゅしちゅう)』を出典とする命名。朝廷が8つの候補を幕府に示し、幕府が3つに絞り込んだ後、天皇により「寛永」が選ばれたといわれる。1627年(寛永4)には、後水尾天皇が高僧に与えた紫衣(しえ)着用の勅許を、法度(はっと)違反を理由に幕府が無効とした紫衣事件が起こっている。反発した天皇は退位を決意するなど、幕府と朝廷の間に緊張が高まった。1637年(寛永14)には島原の乱が起こった。

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精選版 日本国語大辞典の解説

かんえい クヮンエイ【寛永】

江戸時代前期、後水尾、明正、後光明天皇の代の年号。元和一〇年(一六二四)二月三〇日、甲子(かっし)革命により改元。寛永六年(一六二九)一一月以降明正天皇、同二〇年一〇月以降後光明天皇。同二一年一二月一六日、正保(しょうほ)と改元。三代将軍徳川家光の時代。出典は「毛詩‐朱子注」の「寛広永長」による。

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