明塚村(読み)あかつかむら

日本歴史地名大系 「明塚村」の解説

明塚村
あかつかむら

[現在地名]邑智町明塚

南流する江川東岸に位置し、北は野井のい村、下流簗瀬やなぜ村。赤塚とも記す。中世には佐波さわ郷に含まれ、明都賀と記された。永正二年(一五〇五)七月一四日の赤穴郡連置文(閥閲録)などによると、永和三年(一三七七)頃に佐波郷本拠を置いた在地領主佐波実連の四男が明都賀の地を伝領し明都賀隼人正と名乗った。明都賀氏は佐波惣領家から分出した井元氏・吾郷氏・奥山氏ら沢谷さわだに川南岸から江川沿いにかけて割拠した下方親類衆のうちの一つで、宝徳(一四四九―五二)頃に他の下方親類衆を引入れて謀反に及び、佐波惣領家およびその庶家で出雲国赤穴あかな(現赤来町)を領した赤穴弘行らによって討果たされている(前掲置文など)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

梅雨の季節に入ること。つゆ入り。毎年6月中旬~7月中旬の約1ヵ月間,九州から東北地方は梅雨の季節に入る。これは,北方のオホーツク海高気圧と南方の小笠原高気圧とに挟まれて,揚子江流域から九州,四国,本州...

入梅の用語解説を読む