明岡村
みようおかむら
[現在地名]矢吹町明新原・明新中・明新西・明新東・明新下・明新上
阿武隈川西岸にあり、北は中野目村、西は松崎村(現中島村)、南の明岡新田村とは地境が入交っている。後三年の役で源義家が藤田城(現石川町)に滞陣した折、遠藤但馬という者が葦毛の馬に沓一〇〇足をつけて献上した。源義家が凱陣するとき沓打料として一〇町四方を与え、明武といっていた村の名を明賀と改め、
打の地名が残った。また馬頭観音堂を建立した。源頼朝が文治年間(一一八五―九〇)藤田城に着陣して馬頭観音に参詣し、阿武隈川渡で歌を詠んだという(白河風土記)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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