大日本帝国憲法の通称。
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…明治~昭和前期の官僚政治家。福岡藩士の家に生まれ,藩校修猷館に学び,明治維新後,旧藩主に従ってアメリカに留学,ハーバード大学で法律学を修めた。1880年元老院に出仕,各国憲法の調査に当たり,84年制度取調局の設置にともない,立憲制移行にともなう諸法制の整備に関与した。86年からは伊藤博文のもとで井上毅,伊東巳代治らとともに憲法,皇室典範や憲法付属の法典の起草に当たり,とくに貴族院令,衆議院議員選挙法の立案を担当した。…
…硬性憲法の改正方法はさまざまであるが,改正権者を基準にして大別すると,(1)普通の立法機関が加重された手続で行う方法(1850年のプロイセン憲法などドイツの憲法に多くみられる),(2)特別の憲法会議によって行う方法(アメリカ合衆国憲法のほかアメリカ諸州の憲法にみられる),(3)立法議会または特別の憲法会議の議決と国民投票とを併用して行う方法(現行イタリア憲法,フランス第四・第五共和政憲法,スイス憲法など),の三つの類型がある。明治憲法は,改正手続(73条)として,議事・議決の要件を普通の立法手続に比べて加重するとともに,改正の発案権を統治権を総攬(そうらん)する天皇に専属させ,基本的に(1)型を採用していた。これに対して日本国憲法は,改正手続(96条)として,〈各議院の総議員の三分の二以上の賛成〉による国会の発議と,国民投票での過半数の賛成による承認を要するものと定め,(3)型を採用している。…
…しかし明治10年代までは近代西欧思想の流入もあり,自由民権思想のなかにみられた契約国家論,国約憲法論や,イギリス君主制の〈君臨すれども統治せず〉を是とする福沢諭吉の《帝室論》(1883)等,さまざまな見解が存在した。明治憲法制定過程においては立憲政治への移行が国体の変更であるか否かが政府内で議論されたが,最終的には立憲政治への移行は政体の変更で国体の変更ではありえないことに決着し,伊藤博文の公認の憲法解釈書《憲法義解》にそのことが示された。そして明治憲法によって国体の基礎的原理が示され,教育勅語によってその解釈基準が示されたものとされた。…
…
[日本]
日本では,明治維新以来,欧米の自由・立憲主義思想の影響をうけて,人権尊重の思想と運動が展開されるようになる。明治憲法は日本でのはじめての人権宣言ともいうべき臣民の権利を保障する諸規定を含んでいたが,それは人が生れながらに有する権利を確認するというよりも,天皇から恩恵として与えられた外見的人権宣言の名にふさわしいものであった。日本国憲法の成立は,〈言論,宗教および思想の自由並びに基本的人権の尊重〉の確立を要求していたポツダム宣言の受諾に由来しており,この憲法により固有の意味での人権宣言が日本に生まれるのである。…
…1889年2月11日発布され,90年11月29日より施行され,形式的には1947年5月2日まで存続した憲法典で,〈明治憲法〉あるいは〈旧憲法〉とも呼ばれる。
[制定過程]
明治維新にあたり政府は五ヵ条の誓文,政体書を出し政府組織を整えるとともに,版籍奉還,廃藩置県,身分制の廃止,徴兵令,地租改正等によって近代国家としての体裁を形成していった。…
※「明治憲法」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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