朝日日本歴史人物事典 「最上義俊」の解説
最上義俊
生年:慶長11(1606)
江戸初期の山形藩最上氏3代目,改易のため最上氏最後の大名となる。2代家親の子。幼名家信,源五郎,のち義俊と改める。父家親は襲封して間もない元和3(1617)年2月6日(一説に3月6日)変死したため,義俊は12歳の若年で57万石の大名となった。家親の変死には,毒殺説,暗殺説などの諸説があり,その背景に重臣の大名家督をめぐる厳しい抗争があった。義俊襲封ののちもその争いは続き,若い義俊も酒を好み,宴楽にふけるのみであったため,国政不取り締まりを理由に,8年改易となり,近江・三河1万石に封ぜられた。
(横山昭男)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報