バリニャーノ(読み)ばりにゃーの(英語表記)Alexandro Valignano

日本大百科全書(ニッポニカ) 「バリニャーノ」の意味・わかりやすい解説

バリニャーノ
ばりにゃーの
Alexandro Valignano
(1539―1606)

イタリア出身のイエズス会司祭で、三たび巡察師として来日し、布教事業に指導的役割を果たした。ナポリ王国のキエーティ市の貴族として生まれ、イエズス会員となったが、総長はその非凡の能力を認め、自らの名代ともいうべき巡察師に任命して東インドに派遣した。インドやマカオで仕事を終えてのち、1579年(天正7)に初めて日本に赴き、織田信長からも歓迎され、天正(てんしょう)遣欧少年使節行を立案し実施。1590年には帰国する少年使節を伴い、インド副王の使節として来日。この際、一行にヨーロッパから活字印刷機を携えさせ、日本で最初の活版印刷が始められた(1591年キリシタン版刊行)。1598年(慶長3)から1603年(慶長8)まで3度目の滞日。1606年1月20日、マカオで病没した。カトリック教会史上の偉人の一人。

[松田毅一 2018年2月16日]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「バリニャーノ」の意味・わかりやすい解説

バリニャーノ
Valignano, Alessandro

[生]1537頃.キエティ
[没]1606.1.20. マカオ
イタリアのイエズス会宣教師。貴族の出身で,同会の東洋巡察師として 1573年ゴア赴任,次いでマカオに行き,中国の布教に努めた。天正7 (1579) 年日本巡察師として島原半島口之津に上陸,九州,近畿の各地で布教し,G.オルガンチノらとともに織田信長に謁見して布教を許され,安土コレジヨセミナリオを創設した。九州の3大名,大友,有馬,大村氏にすすめて天正遣欧使節をローマに送り,みずからも同行して同 10年長崎を去ったが,ゴアに残って同地の管区長としてインドの布教に尽力した。同 18年豊臣秀吉のバテレン追放令下の日本へ再び来航,翌年秀吉に謁して禁令解除を懇請したが,聞き入れられず,ひそかに各地で布教に従事した。しかし殉教者が少くなく,バリニャーノも危険を感じたので,2年後にゴアに戻った。慶長3 (98) 年さらに巡察師として日本に来航して同8年まで滞在,のちマカオでマテオ・リッチの中国本土の布教状況を視察,4回目の日本訪問の機をうかがっていたが,病死した。「東洋の天使」と呼ばれた。

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