日本歴史地名大系 「有喜街道」の解説 有喜街道うきかいどう 長崎県:総論有喜街道江戸時代からの街道で、島原街道の一部をなす。肥前佐賀藩深堀領矢上(やがみ)宿(現長崎市)から佐賀本藩領の有喜村(現諫早市)を経て島原藩領の愛津(あいつ)村(現愛野町)に至る区間。橘(たちばな)湾沿いのこの道筋に対して、島原城下方面に向かうため長崎路筋の佐賀藩諫早領諫早(いさはや)より愛津に迂回する路程、いわば諫早道、有明海側の路程があった。文化九年(一八一二)一一月、伊能忠敬の一行は有喜村域の「長崎街道矢上道追分」を通過しており(伊能忠敬測量日記)、これは当往還筋にあたる。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by