デジタル大辞泉
「一行」の意味・読み・例文・類語
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いっ‐こう‥カウ【一行】
- 〘 名詞 〙
- ① ひとつらなり。一並び。一列。いちぎょう。
- [初出の実例]「前一行為二辨官并諸司五位已上座一」(出典:延喜式(927)三八)
- 「三叫寒猿傾レ耳聴。一行斜雁払レ頭過」(出典:本朝麗藻(1010か)下・過秋山〈具平親王〉)
- 「一行の雁や端山に月を印(いん)す」(出典:俳諧・蕪村句集(1784)秋)
- [その他の文献]〔白居易‐喜小楼西新柳抽条詩〕
- ② 許可、賞与、借用などを旨とする文書。証拠の文言。いちぎょう。
- [初出の実例]「諸事、兼信可レ為二上司一之旨賜二御一行一」(出典:吾妻鏡‐寿永三年(1184)三月一七日)
- 「兼又評定衆の中一行をかきあたへられは」(出典:御成敗式目仮名抄(室町末)起請)
- ③ 一通の手紙。また、書状。いちぎょう。
- [初出の実例]「一かうの書を魚の腹の中に入て、獄中にいれたり」(出典:曾我物語(南北朝頃)五)
- 「Iccǒ(イッカウ)〈訳〉書状一通。ニカウ(二行)とは言わない」(出典:日葡辞書(1603‐04))
- ④ 旅などをいっしょにしている仲間。同行の団体。旅の道連れ。
- [初出の実例]「一行聴者皆傷愁、為作二喩辞一慰二沈憂一」(出典:五山堂詩話(1807‐16)一)
- ⑤ 一つの行ない。また、ちょっとした行ない。
- [初出の実例]「生つき虚弱の人、一行の後、心おもく、むねつかえ」(出典:浮世草子・好色訓蒙図彙(1686)中)
- [その他の文献]〔淮南子‐氾論訓〕
- ⑥ ひとたび行くこと。
- [初出の実例]「小国表へ〈略〉一行可レ仕之由也」(出典:上井覚兼日記‐天正一三年(1585)閏八月二一日)
- [その他の文献]〔晉書‐芸術伝・卜〕
- ⑦ 六か月の称。
- ⑧ =いちぎょう(一行)⑦
一行の語誌
読み方には、少なくともイッカウ、イチガウ、イチギャウの三通りが認められる。「日葡辞書」では、漢音よみイッカウを「一通の書状」の意、その濁音形イチガウを「文字の書いてある行の数え方」の意、呉音よみイチギャウを「一つの行ない」の意としており、読みの区別が意味の区別に対応している。
いち‐ぎょう‥ギャウ【一行】
- 〘 名詞 〙
- ① =いっこう(一行)①
- ② 文章のひとくだり。また、書かれた文字の一列。いちごう。
- [初出の実例]「凡内外諸司解文。〈略〉不レ得三一行過二十三四箇字一」(出典:延喜式(927)五〇)
- [その他の文献]〔李白‐寄遠詩〕
- ③ =いっこう(一行)②
- ④ =いっこう(一行)③
- ⑤ =いっこう(一行)④
- [初出の実例]「一行(イチギャウ)皆驚怖し。進退維れ谷まれり」(出典:造化妙々奇談(1879‐80)〈宮崎柳条〉二編)
- ⑥ =いっこう(一行)⑤〔日葡辞書(1603‐04)〕
- ⑦ 仏語。一事に専心すること。また、一つの行(ぎょう)。
- [初出の実例]「宗師云二専念一即是一行」(出典:教行信証(1224)三)
- 「一行におもひさだめて後、人のとかくいへばとて、変改の条無下の事なり」(出典:一言芳談(1297‐1350頃)上)
ひと‐くだり【一行】
- 〘 名詞 〙
- ① 文章のいちぎょう。また、非常に短い文章。
- [初出の実例]「手まどひをしてひとくだりの文も奉らぬに」(出典:宇津保物語(970‐999頃)俊蔭)
- ② 文章・物語の一部分。一区切り。一節。
- [初出の実例]「此一条(ヒトクダリ)お長が苦心のくやしきを見て」(出典:人情本・春色梅児誉美(1832‐33)初)
- ③ ひとくさりの通り文句。きまりきった口上。また、その一部分。一席。
- [初出の実例]「とくと御合点なされしかと、出家気質の一行(クダリ)」(出典:浄瑠璃・近江源氏先陣館(1769)二)
- ④ 一つの列をなしているもの。また、その列。一列。いちぎょう。
- [初出の実例]「法の声即身即非花散て〈芭蕉〉 余波(なごり)の鳫も一くだり行〈信章〉」(出典:俳諧・桃青三百韻附両吟二百韻(1678))
いちぎょうイチギャウ【一行】
- 中国唐代の僧。嵩山、普寂より禅を、のち、善無畏、金剛智より密教を学ぶ。「大日経疏」二〇巻を撰して、密教の基礎を築いた。また、天文暦数にくわしく、従来の暦の計算を正し、「大衍暦(たいえんれき)」五二巻を著わした。一行阿闍梨。大慧禅師。(六八三‐七二七)
いつ‐ごう‥ガウ【一行】
- 〘 名詞 〙 =いっこう(一行)②
- [初出の実例]「一つ行(ガウ)の書を魚の腹の中に収めて」(出典:松井本太平記(14C後)四)
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一行
いちぎょう
(683―727)
中国、唐代の密教の高僧。天文暦学の科学者。魏州(ぎしゅう)(河北省)昌楽(しょうらく)の人。幼時より聡明(そうめい)で、長じて経史を学び、とくに天文暦算を究めた。出家して嵩山(すうざん)の普寂(ふじゃく)禅師(651―739)に禅要を学び、また荊州(けいしゅう)(湖北省)当陽山の悟真に律蔵を学ぶ。ついで天台山に登り、天台教学の秘奥(ひおう)を修めた。のち717年(開元5)召されて長安に赴き、深く玄宗(げんそう)の帰依(きえ)を受けた。そのころ716年に善無畏(ぜんむい)がインドから大陸を経て来唐し、ついで720年に金剛智(こんごうち)が南海を渡って来唐し、密教経典の伝訳の大事業をなすと、一行はとくに善無畏の訳場に列して『大日経』の訳出を助け、さらに師の指南を受けながら『大日経疏(だいにちきょうしょ)』20巻の大著を完成した。またこの間の721年、勅によって新暦を撰(せん)し、ついで『大衍暦(だいえんれき)』52巻を撰した。かくて名声はいよいよ高まり、一代の英才と仰がれたが、惜しくも45歳の若さで寂(じゃく)した。諡号(しごう)を大慧禅師(だいえぜんし)といい、玄宗自ら塔録(とうろく)を撰した。
一行は密教史上偉大な業績を残した人であるが、現代の中国ではむしろ天文暦法の科学者としての評価が高い。
[勝又俊教 2017年1月19日]
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一行 (いちぎょう)
Yī Xíng
生没年:683-727
中国の唐代の密教僧,天文学者。〈いっこう〉とも読む。本名は張遂,魏州(河南省)昌楽の出身。経史,暦象陰陽五行の学に精通するとともに,天台,禅をも学び,さらに善無畏より密教を伝授された。721年(開元9),李淳風の麟徳暦(儀鳳暦)による日食予報にたびたび誤報があったことから,玄宗は一行に改暦を命じた。彼はまず梁令瓚と黄道游儀を作って太陽,月,5惑星の運行および恒星の位置を測定し,また水力で動く天球儀(水運渾象)を製作した。723年からは南宮説(なんぐうえつ)とともに大規模な子午線測定を実施して1度が351里80歩(唐尺。123.7km)にあたるという結果を得た。724年に編暦作業を開始して,易の形而上学と結びつけた大衍暦を完成させた。この暦法によって計算した暦は彼の死後の729年から全国に頒行され,735年(天平7)吉備真備によって日本にも伝えられた。大衍暦には不等間隔二次差近似補間公式が使用され,食計算には〈九服蝕差〉すなわち食現象の地域的時間差が導入された。
執筆者:橋本 敬造
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一行【いちぎょう】
中国,唐代の密教学者。〈いっこう〉とも。真言五祖の一人。魏州の人。インド僧善無畏(ぜんむい),金剛智(こんごうち)に師事,玄宗(げんそう)に仕える。《大日経疏(だいにちきょうしょ)》を著す。天台,密教の一致を説く。また天文暦数に詳しく,易の形而上学と結びつけた《大衍暦(たいえんれき)》52巻を著した。諡(おくりな)は大慧禅師(だいえぜんじ)。
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一行
いちぎょう
Yi-xing
[生]弘道1(683)
[没]開元15(727)
中国,唐の僧。真言密教をインドの善無畏,金剛智に学んだ。真言宗五祖の一人。禅,律,暦法にも通じていたという。主著は『大日経疏』『大衍暦』など。
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普及版 字通
「一行」の読み・字形・画数・意味
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世界大百科事典(旧版)内の一行の言及
【一行】より
…経史,暦象陰陽五行の学に精通するとともに,天台,禅をも学び,さらに[善無畏]より密教を伝授された。721年(開元9),[李淳風]の麟徳暦(儀鳳暦)による日食予報にたびたび誤報があったことから,玄宗は一行に改暦を命じた。彼はまず梁令瓚と黄道游儀を作って太陽,月,5惑星の運行および恒星の位置を測定し,また水力で動く天球儀(水運渾象)を製作した。…
【大衍暦】より
…中国,唐代の暦法の一つで,僧の[一行](いちぎよう)が玄宗の命によって編んだ。太陰太陽暦。…
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