朝倉山城跡(読み)あさくらやまじようあと

日本歴史地名大系 「朝倉山城跡」の解説

朝倉山城跡
あさくらやまじようあと

[現在地名]福井市深坂町

丹生山地の北端に突出した朝倉山(一七三・三メートル)の頂にあり、「越前国城蹟考」に「四王天覚書 朝倉玄蕃助景連 深坂村ヨリ九町計南方山上ニ十五間四方計之所掻上之形有」とある。朝倉景連は朝倉氏一族で、朝倉義景時代の一乗谷奉行衆の一人。永禄四年(一五六一)義景がこの近辺の三里浜さんりばまで犬追物を興行した際に奉行を勤めた。城は北方三里浜から三国湊みくにみなと(現坂井郡三国町)方面をも一望にする要害の地で、「朝倉始末記」によれば、天正三年(一五七五)一向一揆もこの城を再営したらしく「三郷ノ高山、浅蔵山ヲ城ニゾ拵ラレケル」とある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報