深坂村(読み)ふかさかむら

日本歴史地名大系 「深坂村」の解説

深坂村
ふかさかむら

[現在地名]谷汲村深坂

名礼なれ村の南東にあり、谷汲巡礼街道は小野おの(現揖斐川町)を経て当地を北上する。集落深根ふかね中村なかむら肥田ひだ西村にしむら小洞こぼらに分れるが、近世初頭には東の大洞おおほら村も当村枝郷であった。ただし天保郷帳に当村枝郷とあるのは西村のみ。中世は揖斐庄深坂保として推移する。慶長郷帳に村名がみえ、高二千五八八石余(大洞村分を含む)。元和二年(一六一六)の村高領知改帳では織田長孝(野村藩)領。正保郷帳では大垣藩領で、田一千四五四石余・畑一〇四石・山年貢四石余。


深坂村
ふかさかむら

[現在地名]堺市深阪ふかさか竹城台たけしろだい一丁・若松台わかまつだい一丁・三原台みはらだい一―三丁・茶山台ちややまだい一―二丁・高倉台たかくらだい一―二丁など

田園たぞの村の西、泉北丘陵上の村。大鳥郡に属し、陶器とうき庄一〇ヵ村の一。慶長一〇年(一六〇五)和泉国絵図に「深坂」とみえ高四五九石余。寛永末年頃の状況を記したと推定される和泉国郷村帳には五五九石とあり、以後大幅な変化はない。


深坂村
ふかさかむら

[現在地名]福井市深坂町

朝倉あさくら山北東麓に位置する。福井藩領。村名は正保郷帳にみえ、田方二二七石余・畠方二三石余。当村の柳田家(現在絶家)に伝来する笈は、福井藩家老太田安房守十蔵が貞享三年(一六八六)に致仕した時、家臣であった同家に与えられたもので、太田家の祖先にあたる源頼光が大江山入山の折、所持したものとも(越前国名蹟考)源義経が奥州下りの時に残し置いたものとも(越藩拾遺録)伝える。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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