日本歴史地名大系 「朝倉社」の解説 朝倉社あさくらしや 福岡県:朝倉郡杷木町朝倉社「日本書紀」斉明天皇七年(六六一)五月九日条にみえる神社。同書によれば同日斉明天皇が朝倉橘広庭(あさくらのたちばなのひろにわ)宮に遷居したが、宮の造営にあたって朝倉社の木を切り払ったため神が怒り、殿舎を壊したという。また宮中に鬼火が現れ、多くの者が病死し、七月に没した斉明天皇の葬儀に際しては朝倉山の山上に鬼が現れたとされる。朝倉橘広庭宮は元禄七年(一六九四)に古賀仁右衛門高重が現朝倉町須川(すがわ)に比定して以来(朝倉紀聞)、現朝倉町・現杷木町に求める説が有力であり、それに伴い両町にまたがる麻底良(まてら)山上の麻良布(まてらふ)神社を当社に比定することが広く行われている。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by