朝倉橘広庭宮(読み)アサクラノタチバナノヒロニワノミヤ

デジタル大辞泉 「朝倉橘広庭宮」の意味・読み・例文・類語

あさくらのたちばなのひろにわ‐の‐みや〔あさくらのたちばなのひろには‐〕【朝倉橘広庭宮】

福岡県朝倉市須川(あるいは山田とも)に置かれたとされる斉明天皇行宮あんぐう天皇百済くだら救援のためみずから九州に下り、661年、ここで崩御朝倉宮あさくらのみや朝倉木丸殿あさくらきのまろどの

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精選版 日本国語大辞典 「朝倉橘広庭宮」の意味・読み・例文・類語

あさくらのたちばなのひろにわ‐の‐みや‥のたちばなのひろには‥【朝倉橘広庭宮】

  1. 斉明天皇の行宮(あんぐう)。「日本書紀」によれば、斉明天皇の七年六六一新羅(しらぎ)征伐のために移り、丸木で建てたという。福岡県朝倉郡朝倉町に跡がある。

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日本歴史地名大系 「朝倉橘広庭宮」の解説

朝倉橘広庭宮
あさくらのたちばなのひろにわのみや

「日本書紀」にみえる斉明天皇の宮。斉明天皇七年(六六一)、百済救援のため中大兄皇子以下全朝廷を率いて筑紫に西征した斉明天皇は、磐瀬いわせ行宮(現福岡市南区三宅付近か)を経て五月に朝倉橘広庭宮に居を移した。同書は宮造営の際朝倉社の木を切ったため、神の祟りを受けて殿舎が壊れ、宮中に鬼火が現れたり、大舎人などの近侍者に多くの病死者が出て、同年七月には天皇自身が当宮で客死したと伝える。

当宮の所在地については現朝倉町須川すがわ山田やまだ地区に比定する説がある(「朝倉紀聞」など)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

世界大百科事典(旧版)内の朝倉橘広庭宮の言及

【朝倉宮】より

…斉明天皇(皇極天皇)の行宮(あんぐう)。正式には朝倉橘広庭宮(あさくらのたちばなのひろにわのみや)といい,《新古今集》が天智天皇の作とする〈朝倉や木の丸殿に我が居れば名宣りをしつつ行くは誰が子ぞ〉にちなんで木丸殿とも呼ばれる。661年(斉明7)に天皇は百済再興支援のため西征し,3月娜大津(現,福岡市南区)に至り,近くの磐瀬行宮に居したが,5月この朝倉宮に移った。…

※「朝倉橘広庭宮」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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