木切沢村(読み)ききりざわむら

日本歴史地名大系 「木切沢村」の解説

木切沢村
ききりざわむら

中世船木田新ふなきたしん庄のうちで、あさ川南岸の段丘地帯に比定される。現日野市南平みなみだいら字木切沢が遺称地。正和元年(一三一二)八月一八日の高麗忠綱譲状(第二回西武古書大即売展目録)に武蔵国多西たさい郡「ふなきたの庄内きゝりさハのむら」とみえ、武蔵国高麗こま郡出自とする高麗忠綱は木切沢村・山を、村については妻が存命中は妻に、妻の死後には嫡子とした孫若に譲与している。木切沢山は東は八幡社(比定地は現三沢の八幡神社)前、湯沢ゆざわ川・大塚おおつか道、南は由木ゆき境、西は平山ひらやま境から不動堂(金剛寺)と結ぶ線を、北は「おのみち」を境界としていた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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