日本歴史地名大系 「木引町」の解説
木引町
こびきちよう
[現在地名]中区中島 町
西は
元和五年広島城下絵図に木引町として町間数二町三間とあり、寛永年間広島城下絵図には「小引新町」、承応の切絵図では「木挽町」となっている。「知新集」に石橋一、町間数一丁五八間六厘三毛、竈数一〇五(本竈一八・借竈八七)、人数三三四(男一八一・女一五三)、うち大工一三人、柿葺五人、木挽三人、横木挽一人のほか、傘張四人、桶屋・指物師各二人、畳刺一人と計三一人の職人がいたことが記され、当町も近隣と同様に材木業に関連の深い町であった。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報