テンジン
てんじん
Tenzing Norgay
(1914―1986)
出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例
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テンジン
Tenzing Norgay
[生]1914.5.15. チベット,ツェチュー
[没]1986.5.9. インド,ダージリン
ネパールのシェルパ。本名 Namgyal Wangdi。ネパールのソロ・クーンブ地方のターメ生まれともいわれる。10代でインドのダージリンへ出稼ぎに行き,19歳でシェルパ族の娘と結婚。1935年にエリック・シプトン率いるイギリスのエベレスト調査隊に高所ポーターとして雇われ,初のヒマラヤ登山(→ヒマラヤ山脈)を果たした。第2次世界大戦後,シェルパ頭(サーダー)を務める。1952年にスイスのエベレスト登山隊の 2回の登攀にサーダーとして参加,頂上直下まで迫った。1953年,イギリスのエベレスト登山隊にサーダーとして参加,同年 5月29日にエドモンド・ヒラリーとともに世界最高峰の初登頂に成功した。初登頂成功後はネパール,インド両国の英雄として広く尊敬を集め,ダージリンに設立されたネルー登山学校の校長職に任ぜられた。イギリスのジョージ・メダルを受章。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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テンジン
Tenzing Norgay
生没年:1914-86
ネパール生れ(国籍はインド)のシェルパ,登山家。1935年エベレスト登山隊に参加して以来,多くのヒマラヤ登山隊にシェルパ頭として参加,53年5月,J.ハント隊長の率いるイギリス登山隊に加わり,E.P.ヒラリーとともにエベレストの初登頂を果たした。その後ダージリンのインド国立登山学校の指導者として活躍。《ヒマラヤの男--テンジンの生きて来た道》などの自叙伝がある。
執筆者:徳久 球雄
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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普及版 字通
「テンジン」の読み・字形・画数・意味
【
塵】てんじん
出典 平凡社「普及版 字通」普及版 字通について 情報
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世界大百科事典(旧版)内のテンジンの言及
【エベレスト[山]】より
…南面の登山ルートである。エバンズ,[ヒラリー]らのメンバーを中心に順調に高所キャンプが進められ,第1次アタック隊のエバンズらを引き継いだ第2次アタック隊のヒラリーと[テンジン]が,5月29日午前11時15分頂上に立ち,人類多年の夢を実現した。70年春,日本隊(松方三郎ら)も登頂に成功,75年には田部井淳子ら日本女子隊も登頂を果たした。…
※「テンジン」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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