木挽町南之丁(読み)こびきちようみなみのちよう

日本歴史地名大系 「木挽町南之丁」の解説

木挽町南之丁
こびきちようみなみのちよう

[現在地名]南区心斎橋筋しんさいばしすじ二丁目

木挽町中之丁の南にあり、南は八幡はちまん筋までの一町。町名は明暦元年(一六五五)から確認される(南区志)。大坂三郷南組に属し、元禄一三年(一七〇〇)三郷水帳寄帳では屋敷数一九・役数二七役と二分五厘役で、うち年寄分一役が無役。年寄は笹屋五左衛門。安永六年(一七七七)には屋敷数・役数とも変化ないが、屋敷一九の内訳は町人住居九・町内持ち四・他町持ち九。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

4月1日の午前中に、罪のないうそをついて人をかついでも許されるという風習。また、4月1日のこと。あるいは、かつがれた人のこと。四月ばか。万愚節。《季 春》[補説]西洋もしくはインドに始まる風習で、日本...

エープリルフールの用語解説を読む