コトバンクはYahoo!辞書と技術提携しています。

御用金 ごようきん

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

御用金
ごようきん

江戸時代,幕府,諸藩が財政難に対処するため,御用商人などを指名して臨時に募集した金銭。幕府では宝暦 11 (1761) 年から慶応2 (1866) 年までに 17回賦課した。償還がたてまえであったが償還できないこともあった。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

デジタル大辞泉の解説

ごよう‐きん【御用金】

江戸時代、幕府・諸藩が財政の不足を補うため、臨時に御用商人などに課した賦課金。

出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例

百科事典マイペディアの解説

御用金【ごようきん】

調達金,用達金,御頼金,才覚金等とも。江戸時代に幕府・諸藩が財政上の不足を補うために御用商人をはじめとする町人や百姓に課した臨時賦課金。幕末に至るほどひんぱんに行われた。
→関連項目御用達幕府札

出典 株式会社日立ソリューションズ・クリエイト百科事典マイペディアについて 情報

世界大百科事典 第2版の解説

ごようきん【御用金】

江戸時代,幕府・諸藩が財政上の不足を補うため,町人・農民らに対し臨時に上納を命じた金銀をいう。御用金献金とは異なり,本来は利子付きで年賦返済する借上金である。もっとも,利子は年利2~3%という超低利で,返済は長期の年賦返済であった。幕末には利子はもちろん元金もほとんど償還されなかったので,半強制的な献金の性格をもつにいたった。 幕府の御用金令は1761年(宝暦11)を初見とし,おもなものだけでも1806年(文化3),09年,13年,37年(天保8),39年,43年,53年(嘉永6),54年(安政1),60年(万延1),64年(元治1),65年(慶応1),66年など,幕府財政の悪化に伴って幕末に近づくほど頻繁に発令された。

出典 株式会社日立ソリューションズ・クリエイト世界大百科事典 第2版について 情報

大辞林 第三版の解説

ごようきん【御用金】

江戸時代、幕府・諸藩が公用遂行の資金を得るため、利息をつけて返済する約束で、町人・百姓に強制的に課した借用金。用金。
江戸時代、二条城などに蓄えておいた幕府の備金。
江戸時代、大名のお手元金。 「殿の貯へ置き給ふ-を配分し/浄瑠璃・忠臣蔵」

出典 三省堂大辞林 第三版について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

御用金
ごようきん

幕府・諸藩が財政金融政策遂行に必要な資金を得るため、富裕な町人、百姓に強制的に賦課し、利息を交付し、元金を償還する予定の借用金。幕府の御用金は、元禄(げんろく)期(1688~1704)以来の福井藩、水戸(みと)藩御用金と享保(きょうほう)期(1716~36)の幕府御買米の存在を前提として、1761年(宝暦11)米価引立てのため、約170万両を大坂町人に課し、買米を命じるとともに、拝借金を町に渡して貸付金としたが、結局は難儀により中止に至ったのが始まりである。ほかに、大名財政救済のための公金貸付、江戸城修復、幕府財政補填(ほてん)、窮民救済、海防費、外国事件、長州征伐軍資金などの御用を目的として賦課され、その償還・利息(手当金)はしばしば長期にわたった。対象は、十人両替、融通方などの大坂町人を中心に、江戸御用達(ごようたし)、札差(ふださし)など江戸町人を主とするが、諸国寺社、山伏、幕領百姓、さらに幕末には京、堺(さかい)、兵庫、西宮(にしのみや)の商人にも拡大され、1866年(慶応2)には金高も最高の700万両に達する。江戸では同年三井家の御用金が150万両という巨額に達していた。[川上 雅]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

御用金の関連キーワード羽倉簡堂(はくらかんどう)熊谷五右衛門(初代)殿村平右衛門(初代)大野伝兵衛(8代)前川善兵衛(2代)三野村利左衛門小本村弥五兵衛磐城平元文一揆天王寺屋五兵衛新潟明和騒動平野屋五兵衛樽屋与左衛門須藤佐次兵衛南部藩大一揆小倉庵長次郎涌井荘五郎不破弥三郎銭屋五兵衛三閉伊一揆麹屋伝兵衛

今日のキーワード

ムガベ大統領

1924年、英植民地の南ローデシア(現ジンバブエ)生まれ。解放闘争に参加し、80年にジンバブエを独立に導いた。同年から首相、87年から大統領として実権を握り続けた。2000年以降は白人農場主の農園を強...

続きを読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android

御用金の関連情報