20世紀日本人名事典 「末弘ひろ子」の解説 末弘 ひろ子スエヒロ ヒロコ 明治〜昭和期の女性 ミス・ニッポン第1号。 生年明治26(1893)年 没年昭和38(1963)年 出生地福岡県北九州市 学歴〔年〕学習院女学部3年〔明治41年〕中退 経歴小倉市長・末弘直方の四女。明治41年アメリカのシカゴ・トリビューン紙の呼びかけによる世界美人コンテストに応じ、時事新報社の写真による国内審査で第1位に選ばれた。これがもとで、学習院女学部中退を余儀なくされるが、のち野津道貫元帥の御曹司・鎮之助と結婚。 出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「末弘ひろ子」の解説 末弘ヒロ子 すえひろ-ヒロこ 1892-1963 明治時代のミス日本。明治25年生まれ。もと岩手県・香川県知事末弘直方の4女。学習院女学部中等科在学中の明治41年時事新報社主催の日本最初の美人コンクールで1位,翌年世界6位となる。学習院長乃木希典(まれすけ)はヒロ子を退学にしたが,仲人となり元帥野津道貫(みちつら)の息子鎮之助と結婚させた。昭和38年死去。71歳。鹿児島県出身。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by