シカゴ(英語表記)Chicago

翻訳|Chicago

共同通信ニュース用語解説 「シカゴ」の解説

シカゴ

米中西部イリノイ州の最大都市。2023年の人口は全米で3番目に多い約266万人。民主党支持者が多く、大統領選では1992年以降、イリノイ州では民主党候補が勝利している。民主党全国委員会は党大会開催地に選んだ理由について、イリノイ州は中西部でウィスコンシン、ミシガン、ミネソタの3州とともに、2020年大統領選でもバイデン大統領勝利の鍵になった民主党の地盤である「青い壁」の一角を占めると説明した。(シカゴ共同)

更新日:

出典 共同通信社 共同通信ニュース用語解説共同通信ニュース用語解説について 情報

精選版 日本国語大辞典 「シカゴ」の意味・読み・例文・類語

シカゴ

  1. ( Chicago ) アメリカ合衆国イリノイ州の北東部、ミシガン湖の南西岸にある都市。背後に穀倉、酪農地帯をひかえたアメリカ屈指の大商工業都市で、機械工業、鉄鋼業もさかん。水陸交通の要地でもある。

出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例

改訂新版 世界大百科事典 「シカゴ」の意味・わかりやすい解説

シカゴ
Chicago

アメリカ合衆国中西部,イリノイ州北東部の大都市。人口284万(全米3位,2005),大都市域人口841万(1992)。ミシガン湖南西岸に位置し,人口,経済,文化等の面において,ニューヨークロサンゼルスと並び,アメリカを代表する都市である。大西洋岸にあって植民地時代以来の国際都市として栄えてきたニューヨークや,20世紀の自動車時代に発展した西海岸のロサンゼルスとは異なり,シカゴは内陸の国内交通のかなめ,とくに中西部の農産物集散地として発達し,19世紀アメリカの工業化,都市化に歩調をそろえて成長した。

 シカゴの語源はインディアンの言葉checagouで〈ニンニク〉〈タマネギ〉,転じて〈強い〉という意味を持ったといわれる。シカゴ川の河岸をおおっていた野生のニンニクに由来するものであろう。河口の地点は早くからインディアンの交易地であり,1673年以降フランス人伝道師や探検家も訪れている。独立達成によりアメリカ領となり,インディアンとの〈グリーンビル条約〉(1795)により開拓の道が大きく開かれた。軍事的にも重要で1803年にはディアボーン砦が設けられたが,町としての始まりは33年に町制が敷かれたときからである。もっとも,当時の人口は350にすぎなかった。このころから中西部の開拓が本格化し,イリノイ以西への移住者が増大するにつれ,シカゴは西部への旅の中継点となった。そして,農業生産が発展すると今度は東部へ小麦を送り出す拠点になってゆく。とりわけ,48年にはイリノイ・ミシガン運河が開通し,次いでイリノイ・セントラル鉄道(1852)をはじめとする鉄道が建設され,東部工業地帯と西部農業地帯を結ぶ水陸交通の要衝としての重要性が高まった。48年には穀物を中心とする取引所(シカゴ商品取引所)も開設された。55年には,10本の鉄道幹線と11本の支線が集まる鉄道網の中心であり,日に96本の列車が発着した。かくして,詩人C.サンドバーグにより〈世界の豚屠殺者,機具製造者,小麦の積上げ手,鉄道の賭博師,全国の貨物取扱い人〉とのちにうたわれたシカゴの基礎は,19世紀中葉に築かれたのである。1850年には人口約3万,数年後には6万に達したといわれる。

 シカゴは政党などの全国大会が開かれる都市としても有名である。リンカンを大統領候補に指名した1860年共和党全国大会も,ここで開催された。当時,合衆国の内陸都市としてシカゴと覇を競っていたセント・ルイスやシンシナティは,南部との結び付きがより強かったので,南北戦争中のシカゴは軍需を一手に引き受けることとなった。穀物・家畜取引は増大し,65年にはユニオン・ストック・ヤーズもつくられた。ここには牛2万頭,豚7万5000頭,羊2万頭の収容能力があった。商工業の発達も目ざましかった。すでに南北戦争以前から,中西部農村を市場とするマコーミック収穫機会社や,近くの鉱床を利用する製鉄工場が建設されており,70年の人口は30万に達していた。

 71年,パトリック・オリアリーの牛小屋から起こった大火は,2億ドルの損害を与え10万人の家を奪った。再建にあたり市は中心街での木造建築を禁じ,煉瓦,石,鉄の使用を義務づけ,保険会社の政策もその傾向を助長した。シカゴは建築家にとって絶好の市場となり,のちに多数のスカイスクレーパー(摩天楼)を設計・建築したL.H.サリバンをはじめ多くの建築家をひきつけた。サリバンは73年,シカゴに移住してジェニーWilliam Le Baron Jenneyの弟子となったが,ジェニーは最初の鉄筋建築ホーム・インシュアランス・ビル(1885完成)を建て,シカゴに摩天楼の時代を開く(シカゴ派)。再建はすみやかに進み,73年の不況をくぐりぬけたシカゴは経済的にもいっそう発展した。

 商工業の発展は,各地から労働者や外国移民をひきつけた。精肉業,製鉄工場,農機具製造会社,鉄道車両工場など,多数の労働者を雇う工場があり,近隣の鉱山,採石場,製材所,鉄道現場でも多くの不熟練工が働いていた。アイルランド移民はすでに1850年代から政治的勢力となっていたし,彼らよりも多いドイツ移民の中には急進主義者もまざっていた。シカゴは労働運動の中心地となり,77年の鉄道ストライキ,86年のヘイマーケット事件,94年のプルマン・ストライキ,同年および98年の炭鉱ストライキと,しばしば血なまぐさい事件をともなう大争議が生じた。貧しい移民や労働者を救うためにハル・ハウスを開いたジェーン・アダムズのような社会改革家もいたが,むしろ目だったのは移民たちの無知と結束の強さを利用して政治をあやつるボスや,一時の享楽を与える酒場や娼家であった。

 シカゴは工業都市であると同時に,モンゴメリー・ワードやシアーズ・ローバックが本拠をかまえる流通業の中心であり,マーシャル・フィールド百貨店の存在が示すごとく一大消費都市である。19世紀後半以降の経済の発展はプレーリー・アベニューや〈ゴールド・コースト〉に大邸宅を構える富豪を生んだ。上流階級の富はステート・ストリートの優雅な商店,グラント・パークなどの広々した公園,バッキンガム噴水やシカゴ自然博物館,そして美術館やコンサート・ホールを生み出した。しかし,その反面,ウェスト・サイドなどのスラム街に住む下層階級も増加した。93年の世界博覧会を機として生じた都市美化運動や,その後の市政改革運動にもかかわらず,都市の成長は住む場所としての質を低下させた。第1次大戦と移民の激減から生じた労働力不足は,南部からの大量の黒人流入をもたらし,家屋の不足からスラム街が広がり,白人との緊張が高まった。そして1919年夏にはサウス・サイドでシカゴ史上最大の人種暴動が起こったのである。さらに20年代のアル・カポネや聖バレンタイン・デーの虐殺に代表されるギャングの横行は,腐敗と無法の町としてのシカゴを印象づけた。30年,シカゴの人口は330万を超え,アメリカ第2位に達したが,中産階級エバンストンやウィルメット等の郊外住宅地に脱出し,都心部には一部の金持階級と労働者,移民そして新たに流入してきた黒人が残った。かつてはすべてが混在していたこの都市において,ループを中心とする商業地区,カリュメット地域中心の工業地域,レーク・ショア・ドライブのごとき高級アパート地域という機能分化が生じ,同時に人種,階級により居住区域が分かれていった。1920年代はまた〈社会的実験室としての都市〉を対象とした社会学のシカゴ学派(R.E. パーク,E.W. バージェスら)の研究がすすんだ時代でもあった。

 シカゴを代表する文化は,シカゴ美術館に収められたフランス印象派の絵画や,シカゴ交響楽団の演奏するヨーロッパの名曲ではなく,むしろ下層階級のものといってよい。F.ノリス,T.ドライサー,U.B.シンクレア,C.サンドバーグ,R.ライトらの文学は,シカゴが具現する大都市の矛盾,スラム街の労働者の生活と切り離すことはできないし,ルイ・アームストロングやベニー・グッドマンのジャズは安酒場から生まれた。もっとも,資本家の財力と労働者の腕の力が結びついた高層建築こそ,シカゴの象徴といえるかもしれない。1920年代にはトリビューン・タワーやリグリー・ビル,第2次大戦後にはマリーナ・シティ,ジョン・ハンコック・センター,シアーズ・タワーなどが建てられた。前記のサリバンやF.L.ライトをはじめとする建築家の活躍も忘れてはならない。

 シカゴは〈最も典型的なアメリカ的都市〉(ジョン・ガンサー)と呼ばれるが,外国移民やその二世,三世が多い。ポーランド語,イディッシュ語,ドイツ語,スウェーデン語,ギリシア語などの新聞が発行され,イタリア人街,リトル・メキシコ,チャイナ・タウンが形成されている。そうした中で,アイルランド系政治家を中心とする民主党の勢力は強く,とりわけ,第2次大戦後,55年から76年まで20年以上にわたって続いたデーリーRichard Daley(1902-76)市長の時代は記憶さるべきであろう。彼は諸民族や諸階層の利害を巧みに調整し,銀行家,不動産業者,労働組合役員,連邦政府の役人など,さまざまな有力者の支持を受けた。もちろん,68年の黒人暴動や民主党全国大会でのデモ隊と警官隊との衝突などの事件もあったが,この時期のシカゴ市政はニューヨークやボストンなどに比較すれば,都市行政の面でも財政面でも一応の成功をおさめた。飛行機やトラックの発達がもたらした鉄道の没落もシカゴを脅かさず,市の北西部にあるオヘア空港は今日世界一の繁忙さを誇り,セント・ローレンス水路はシカゴと外洋を結びつけている。シカゴ穀物市場は全国の相場を決定し,諸工業や金融業も全国的に重要な地位を占めている。シカゴの語源となった〈強さ〉という表現は現代においてもふさわしい。
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「シカゴ」の意味・わかりやすい解説

シカゴ
しかご
Chicago

アメリカ合衆国、イリノイ州のミシガン湖畔にある商工業都市。人口289万6016、大都市圏人口915万7540(2000)はともにニューヨーク、ロサンゼルスに次いで第3位である。合衆国中部地域の行政・経済・文化・交通の一大中心地で、世界一忙しいオヘア国際空港(1日平均2300便)、世界一の穀物取引所、世界一大きい郵便局、世界一高いマンションのレイク・ポイント・タワー(70階、196メートル)などがあって、世界一が好きな都市として知られる。ミシガン湖岸には広い緑の公園とヨット・ハーバーがよく整備され、湖上から眺める都市景観のみごとさをも市民は世界一と誇りにしている。市名は先住民アルゴンキンのことばで「野生のニンニクあるいはタマネギのある場所」という意味のchicagou'に由来する。

 市はミシガン湖に注ぐシカゴ川の河口に位置する。湖岸から内陸に十数キロメートル入ると、氷河時代の堆石丘(たいせききゅう)が連なる。比高30メートルほどであるが、これが北アメリカ大陸の南北を分ける分水嶺(ぶんすいれい)で、これを境に南はミシシッピ川の流域でメキシコ湾へ注ぎ、北は五大湖を経てセント・ローレンス川の流域となる。1848年にこの低い分水嶺を刻んで運河が掘られ、五大湖とミシシッピ川が水路で結ばれたことがシカゴの発達の基礎となった。気候は最寒月(1月)の平均気温が零下5.6℃、最暖月(7月)の平均気温が23.4℃で、日本の盛岡とよく似ている。しかし、大陸性が大きく、とくに冬はカナダ極北から南下する寒冷気団を妨げる地形的障害がないため、零下25℃ぐらいになることも珍しくない。

 19世紀末までのシカゴの産業は、中西部のトウモロコシ、小麦、家畜、木材の集散と、製粉、食肉加工、木材加工が主であった。しかし、1959年にセント・ローレンス水路の改修が行われると、シカゴに外洋と直結する国際的工業港湾都市としての役割を加え、カルメット港の整備と工場地帯の造成により鉄鋼業と機械工業の集積が進んだ。ゲーリー、サウス・シカゴなど都市圏内の諸都市とともに合衆国第二の重化学工業地帯が形成され、USスチール、インランドスチールなど鉄鋼業の主力工場、農業機械では世界最大級のナビスター・インターナショナルが育った。また、交通都市としての重要さは、鉄道時代が高速道路と航空機の時代に移っても変わらず、産業都市から商業・サービス・金融・文化・情報の都市へと幅を広げ、合衆国中西部の中枢都市の性格を強め、国内企業のみでなく外国商社の進出も著しい。交通上の利点から全国的な会議や展示会が催され、展示場やホテルが多い集会・会議都市でもある。

 観光の見どころは豊富である。シカゴ大火後に残骸(ざんがい)で埋め立てた湖岸の公園は、他都市に類をみない規模の大きさである。グラント公園には湖岸高速道が走り、市営飛行場、ヨットハーバー、自然博物館、水族館、プラネタリウム、野外集会場、野外音楽堂などがあり、中心に巨大で華麗なバッキンガム噴水がある。その北には湖岸に8キロメートルにわたってリンカーン公園が広がり、湖水浴場、ゴルフ場、射撃場、運動場、テニスコート、温室植物園、動物園などがある。摩天楼の発祥地であるシカゴは近代建築の集大成として国際的に定評があり、市内の建築をひととおり見て歩くと現代建築史を総括できるといわれる。なかでもフランス・ルネサンス風のリグレー(チューインガムなどの食品加工会社)の白いビルは、夜は照明が当てられ、シカゴのランドマークとなっている。1973年に完成した大型百貨店シアーズの本社ビル(シアーズ・タワー。2009年以降ウィリス・タワーに名称変更)は高さ442メートルで、1996年までは世界一の高さを誇っていた。このビルの110階展望台「スカイデッキ」からの眺めも絶景である。ピカソがシカゴのためにデザインした鋼鉄の彫刻(高さ15.2メートル、重さ149トン)が玄関前を飾る市庁舎、穀物取引所、商品取引所などもガイドの案内で見物できる。都心に近いオールド・タウンは、手芸・民芸品店、レストラン、バー、ナイトクラブなどが集まっていて夜遅くまでにぎわう。一方、19世紀後半から20世紀初期の禁酒法時代にかけては、アル・カポネに代表されるシカゴ・ギャングが強大な組織をもち、犯罪都市の印象を深めたこともある。また、シカゴ交響楽団の本拠地であるほか、美術館、博物館の数も多い文化的な都市であり、ミシガン湖岸に建てられたジョン・G・シェド水族館(1930開館)、フランス印象派の作品を集めたシカゴ美術館、大規模な科学技術博物館などが有名である。イリノイ大学、シカゴ大学など水準の高い大学も多く、とくに医学部門をもつ6大学が集まっているため、医学では世界のメッカといわれる。

[伊藤達雄]


出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「シカゴ」の意味・わかりやすい解説

シカゴ
Chicago

アメリカ合衆国イリノイ州北東端,ミシガン湖畔にある都市。合衆国有数の大都市で,気候は大陸的である。1803年要塞が築かれ,1832年入植が始まった。1848年イリノイ―ミシガン運河が完成し,1852年東部から鉄道が通じて交通の要衝,重要な港として急速に発展。南北戦争以後工業化が進み,商工業都市として繁栄し,大都市圏の人口で州人口の 53%を占める。トウモロコシ地帯,コムギ地帯を後背地としているため農産物の大集散地で,大規模な家畜市場がある。シカゴ商品取引所では世界のコムギ価格が決定されるといわれる。農業,鉱山,電気通信などの機械工業,畜産,車両工業が盛ん。またカリュメット地区の鉄鋼業,付近の石油,石炭の産出により重工業地帯を形成する。1871年の大火以後,労働運動が激化し,以後労働運動の中心地となる。金融の中心でもあり,シカゴ・マーカンタイル取引所には各国通貨の先物市場がある。住民はスカンジナビア人,ポーランド人,ドイツ人,ロシア人,アイルランド人など多様で,日本人,中国人も多い。20世紀初期の禁酒法時代は賭博と犯罪の町として知られ,地下組織の支配者アルフォンス・カポネは有名。市内には 110階建てのウィリスタワー(旧称シアーズタワー。442m),巨大なコンベンション施設であるマコーミックセンターなどが並び,北西郊外にオヘア国際空港がある。シカゴ交響楽団は世界的に著名で,シカゴ大学(1890創立),シカゴ美術館などの文教施設,シカゴ・トリビューンやエンサイクロペディア・ブリタニカなど,マスコミ・出版関係の会社も多い。人口 269万5598(2010)。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

百科事典マイペディア 「シカゴ」の意味・わかりやすい解説

シカゴ

米国,イリノイ州北東部,ミシガン湖岸の都市。ニューヨーク,ロサンゼルスに次ぐ大都市。五大湖水運の重要な港湾都市で,陸上交通の要地でもある。後背地は豊かな農業・酪農地帯で,小麦,トウモロコシ,家畜の取引が盛ん。食肉加工業は有名。農業機械,車両,鉄鋼,繊維,皮革製品,化学,電機などの工業もある。1848年のイリノイ・ミシガン運河,1852年のイリノイ・セントラル鉄道の完成で,交通の要所として発展。1886年のヘイマーケット事件,1893年の世界博覧会,1920年代のギャングの横行など数々の歴史的事件の舞台となった。また1871年の大火は街を焼きつくし,甚大な被害をもたらしたが,街の再建は建築家たちが腕を競う舞台となった。シカゴ美術館,シカゴ・オーケストラを擁する文化都市でもあり,ルイ・アームストロング,ベニー・グッドマンのジャズもこの都市に生まれた。また,シカゴ大学を中心に経済学,政治学,哲学,社会学のシカゴ学派(シカゴ・スクール)が形成された。269万5598人(2010)。
→関連項目イリノイ[州]

出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報

デジタル大辞泉プラス 「シカゴ」の解説

シカゴ〔ミュージカル〕

①1975年初演のミュージカル。原題《Chicago》。禁酒法時代のシカゴを舞台に、ナイトクラブのダンサーのスキャンダルを描く。作詞:フレッド・エッブ、作曲:ジョン・ケンダー、脚本:フレッド・エッブ、ボブ・フォッシー。フォッシーは初演時の振付けも担当した。
②2002年製作のアメリカ映画。原題《Chicago》。①の映画化。監督:ロブ・マーシャル、出演:レニー・ゼルウィガー、キャサリン・ゼタ=ジョーンズ、リチャード・ギアほか。第75回米国アカデミー賞作品賞、助演女優賞(キャサリン・ゼタ=ジョーンズ)、美術賞、衣装デザイン賞、編集賞、音響賞受賞。第60回米国ゴールデングローブ賞作品賞(ミュージカル・コメディ部門)受賞。

シカゴ〔映画〕

1937年製作のアメリカ映画。原題《In Old Chicago》。監督:ヘンリー・キング、出演:タイロン・パワー、アリス・フェイ、ドン・アメチー、アリス・ブラディ。第10回米国アカデミー賞作品賞ノミネート。同助演女優賞受賞(アリス・ブラディ)。

出典 小学館デジタル大辞泉プラスについて 情報

ASCII.jpデジタル用語辞典 「シカゴ」の解説

シカゴ

「Chicago」のページをご覧ください。

出典 ASCII.jpデジタル用語辞典ASCII.jpデジタル用語辞典について 情報

世界大百科事典(旧版)内のシカゴの言及

【ジャズ】より

…20世紀初め,アメリカ南部の港町ニューオーリンズの黒人ブラスバンドから生まれた音楽。1920年代を通じて,シカゴ,カンザス・シティ,またニューヨークなどの北部諸都市に伝播し,30年代後半にはスウィング・ミュージックと呼ばれて世界に広まった。第2次世界大戦まではダンス音楽であったが,戦後は鑑賞音楽として独自の発展をとげた。…

【スカイスクレーパー】より

…以来今日まで,おもに事務所・商業建築として各種方式が展開されてきた。 19世紀半ばの鉄材(初めは鋳鉄,後に鋼鉄)とエレベーターの登場,その後の鉄骨造の導入は,高層化を飛躍的に進め,シカゴを舞台に,より高くかつ軽快で透明な建築タイプが追求され,90年代に最盛期を迎えた。構造と外観の一体表現,上下連続させた細身の柱と幅広い窓による重量感の軽減そして垂直上昇感の強調,伝統様式を離れた自由なデザインなど,合理的な解決を示す例に,タコマ・ビル(1889,ホラバード,ローシェ),ライター・ビル(1890,W.ジェニー),リライアンス・ビル(1894,バーナム,ルート)がある。…

※「シカゴ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

今日のキーワード

プラチナキャリア

年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...

プラチナキャリアの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android