末松保和(読み)すえまつ やすかず

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「末松保和」の解説

末松保和 すえまつ-やすかず

1904-1992 昭和時代の朝鮮史学者。
明治37年8月20日生まれ。朝鮮総督府修史官をへて,昭和14年京城帝大教授となる。敗戦帰国,24年に学習院教授となり,27年から学習院東洋文化研究所を主宰する。専攻は朝鮮古代史,日朝関係史。平成4年4月10日死去。87歳。福岡県出身。東京帝大卒。著作に「任那興亡史」「日本上代史管見」「新羅史の諸問題」など。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の末松保和の言及

【紀年論】より

…また崩年干支は景行,垂仁,安康,清寧,顕宗,仁賢,武烈,欽明,宣化の各天皇記には存在しない。このことから末松保和は崩年干支を各天皇記から切りはなして一連の史料群と考えたが,水野祐は逆に崩年干支の存否をもって天皇の実在・非実在の論拠とし,有名な三王朝交替説を提唱した。以上のように《日本書紀》の紀年よりも古く,また信じられてきた《古事記》崩年干支も,倭の五王の比定年代と必ずしも整合せず,また欽明天皇に崩年干支がないことからなお史料批判を要するものである。…

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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」