日本歴史地名大系 「本三之丁」の解説 本三之丁ほんさんのちよう 福島県:会津若松市若松城下本三之丁[現在地名]会津若松市城前(しろまえ)・徒之町(かちのまち)・東栄町(ひがしさかえまち)・西栄町(にしさかえまち)本二之丁の北側を東西に走る郭内第三街、東は宝積寺(ほうしやくじ)通から外郭土塁に沿って西へカーブしているが、三日町(みつかまち)通から直線で諏訪神社境内に至る。長さ一三町三二間余・幅六間で、家数は寛政期(一七八九―一八〇一)には南側三八・北側三〇(会津鑑)、化政期には六七軒の中堅武家屋敷街であった(新編会津風土記)。延宝九年(一六八一)四月一三日、当丁の南側、大町(おおまち)通角より二軒目の有泉新左衛門邸から出火、東風激しく、郭内の本二之丁・本三之丁の武家屋敷ばかりでなく、郭外赤井(あかい)丁・諏方四谷(すわよつや)・融通寺(ゆつうじ)町等の町屋六八四棟を延焼し、諏訪神社も全焼した(会津鑑)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報