本多大膳家代官所跡(読み)ほんだだいぜんけだいかんしよあと

日本歴史地名大系 「本多大膳家代官所跡」の解説

本多大膳家代官所跡
ほんだだいぜんけだいかんしよあと

[現在地名]丸岡町高柳 宅地

高柳たかやなぎの中央、字宅地たくちにあった旗本本多氏の代官所。寛永三年(一六二六)丸岡城主本多成重の次男重看が旗本となり、以降幕末期の五代成孝まで、歴代本多大膳家の代官所として存続した。

本多家の所領は、高柳村など八ヵ村三千二〇〇石であった。嘉永二年(一八四九)本多領の財政を立直すため、福井藩領内の豪農安達利三郎と本多領内の豪農清水多門の二名が、代官島崎門兵衛に代わり、領内の支配万端を担当した。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

4月1日の午前中に、罪のないうそをついて人をかついでも許されるという風習。また、4月1日のこと。あるいは、かつがれた人のこと。四月ばか。万愚節。《季 春》[補説]西洋もしくはインドに始まる風習で、日本...

エープリルフールの用語解説を読む