日本歴史地名大系 「本藩実録」の解説
本藩実録
ほんぱんじつろく
七巻八冊 大塚静氏(観瀾)編著
成立 寛政九年
原本 高鍋町歴史総合資料館
写本 東京大学史料編纂所など
構成 巻一(藩祖―種実)、巻二―七(天正一〇年―宝暦一〇年)
解説 編者の序文によると、外弟綾部重麗とともに藩府の記録に基づき、その他信ずべき史料類を考慮して輯録し、寛政九年完成した一本が藩府にも納められた。この私撰の本藩実録の後を受け、藩では「続本藩実録」「続々本藩実録」「藩尾録」および「拾遺本藩実録」を編纂している。うち「藩尾録」までが一貫した編年の藩史で、「拾遺本藩実録」はその不備を補おうとしたものである。編者大塚観瀾は宝暦一一年の生れ。明倫堂師範の七郎次氏慎の長男で、七代藩主秋月種茂に認められて京師に遊学し、宇井黙斎に師事。その後江戸で服部栗斎に学を正し、寛政四年幕府が講堂を開いた際、栗斎は観瀾に大学を代講させている。翌五年明倫堂教授となり、のち藩政の枢機にあずかるようになる。文政八年病没。
活字本 「宮崎県史料」第一巻
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報