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服部栗斎 はっとり りっさい

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

服部栗斎 はっとり-りっさい

1736-1800 江戸時代中期-後期の儒者。
享保(きょうほう)21年4月27日生まれ。服部梅圃(ばいほ)の子。上総(かずさ)(千葉県)飯野藩士。大坂で五井蘭洲(ごい-らんしゅう),江戸で村士(すぐり)玉水にまなぶ。玉水没後,その塾をつぐ。寛政3年幕府設立の麹町(こうじまち)教授所(麹渓書院)の学頭となった。寛政12年5月11日死去。65歳。飯野藩領摂津豊島(てしま)郡(大阪府)浜村出身。名は保命。字(あざな)は佑甫。通称は善蔵。著作に「隠居放言」など。

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朝日日本歴史人物事典の解説

服部栗斎

没年:寛政12.5.11(1800.7.2)
生年:元文1.4.27(1736.6.6)
江戸中期の儒学者。名は保命,字佑甫(右父),通称善蔵,号栗斎,別号旗峯,静春など。上総(千葉県)飯野藩の飛地摂津浜村(大阪府豊中市)で藩士服部梅圃の4男として生まれる。若くして大坂の五井蘭洲に師事。中小姓として勤仕してからは主に久米訂斎,石王黄裳,稲葉迂斎ら崎門派の儒者に教えを受け,江戸では迂斎の弟子村士玉水に兄事。主君保科正富とその子正率に書を講じたが正率に疎まれて致仕(38歳)。浪人中は築地の家塾信古堂に教えた。寛政3(1791)年,幕府は学問所の直轄教授所を深川,麻布,麹町に設置,才を認められ麹町教授所の長となった。崎門派の朱子学者だが,字義文義を抜きに理を説きがちな崎門末流には批判的で,詩文に遊ぶ雅人でもあった。<著作>『隠居放言』<参考文献>市川任三「麹渓書院考」(『立正大学教養部紀要』13号)

(宮崎修多)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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