李斉賢(読み)りせいけん(その他表記)(R)I Che-hyǒn

改訂新版 世界大百科事典 「李斉賢」の意味・わかりやすい解説

李斉賢 (りせいけん)
(R)I Che-hyǒn
生没年:1287-1367

朝鮮,高麗文臣,学者。初名は之公。字は仲思。号は益斎,実斎,櫟翁(れきおう)。慶州の人。元との外交折衝で重要な役割を果たし,官は門下侍中(首相)に至る。白頤正の門人で朱子学を修め,忠宣王が燕京(北京)に建てた万巻堂で,元の学者姚燧(ようすい),元明善,趙孟頫(ちようもうふ),閻復らと経史について研究討論を行い,高麗朱子学の基礎を固めた。また趙孟頫の書体を高麗に導入し流行させた。著書には,史書に見えない異聞,奇事,人物評,詩文,書画品評等を載せた随筆集《櫟翁稗説(はいせつ)》や,彼の詩文集で,高麗民間歌謡を漢詩に翻訳したものを収める《益斎乱藁(らんこう)》等がある。諡号(しごう)は文忠
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

中国のゴビ砂漠などの砂がジェット気流に乗って日本へ飛来したとみられる黄色の砂。西日本に多く,九州西岸では年間 10日ぐらい,東岸では2日ぐらい降る。大陸砂漠の砂嵐の盛んな春に多いが,まれに冬にも起る。...

黄砂の用語解説を読む