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趙孟頫 ちょうもうふ Zhao Meng-fu

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

趙孟頫
ちょうもうふ
Zhao Meng-fu

[生]宝祐2(1254)
[没]至治2(1322).6.15.
中国,元初の政治家,文人画家,書家。呉興 (浙江省) の出身で宋の太祖 11代の孫。字は子昂 (すごう) ,号は松雪道人。南宋末期に官僚となり,宋の滅亡後は郷里に隠退していたが,至元 23 (1286) 年に元の世祖 (フビライ・ハン ) に召されてからは5朝に仕え,官位は翰林学士承旨にいたった。

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デジタル大辞泉の解説

ちょう‐もうふ〔テウマウフ〕【趙孟頫】

[1254~1322]中国、元代の画家・書家・文人。呉興(浙江(せっこう)省)の人。字(あざな)は子昂(すごう)。号、松雪道人。宋の皇族の出身であるが、元朝に出仕。書は王羲之(おうぎし)に、絵は唐・北宋画に範を求め、書画ともに元朝第一といわれた。詩文もよくし、「松雪斎文集」がある。

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世界大百科事典 第2版の解説

ちょうもうふ【趙孟頫 Zhào Mèng fǔ】

1254‐1322
中国,宋末元初の政治家,書画家。字は子昂(すごう)。松雪道人,鷗波道人水晶宮道人と号し,趙文敏,趙呉興,趙栄禄などとも呼ばれる。呉興(浙江省)の人。南宋の孝宗の実父趙子偁(ちようししよう)の5代の孫にあたる。父は趙与訔(ちようよぎん)。宋末・元初の書画人として有名な趙孟堅とは従兄弟の間柄になる。初め宋に仕えて地方官になったが,宋の滅亡後は家郷で閑居した。1286年(至元23),元の世祖フビライに召されて大都(いまの北京)に行き,翌年奉訓大夫,兵部郎中に任ぜられた。

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大辞林 第三版の解説

ちょうもうふ【趙孟頫】

1254~1322) 中国、元の画家・書家・文人。字あざなは子昂すごう、号は松雪道人。宋の皇族の出身だが元に仕えた。書は王羲之おうぎし風を、詩文にもすぐれ、画も山水・人物・花鳥をよくした。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

趙孟
ちょうもうふ
(1254―1322)

中国、元代の官僚、書家、画家。字(あざな)は子昂(すごう)、号は松雪(しょうせつ)道人。呉興(ごこう)(浙江(せっこう)省湖州)の人。宋(そう)の皇族出身であるが、元のフビライ(世祖)に召され、以後5代の皇帝に仕えた。とくに仁宗(じんそう)の寵遇(ちょうぐう)を得て翰林学士承旨(かんりんがくししょうじ)・栄禄大夫(えいろくたいふ)になる。死後文敏(ぶんびん)と諡(おくりな)された。趙呉興、趙栄禄、趙文敏ともよばれる。書画詩文に傑出した元代随一の文人で、画は山水、花鳥、竹石、人馬すべてに優れ、青緑山水を描いて、唐・北宋画風を範とした復古主義を主張実践し、元代山水画の指導的役割を果たした。書は王羲之(おうぎし)への復帰を主張し、真行草篆(てん)の各書体のいずれにも非凡で、その書風は以後の中国をはじめ、朝鮮、日本にまで影響を与えている。遺品では画に『鵲華(じゃくか)秋色図巻』(台北、国立故宮博物院)、『江村漁楽図』(クリーブランド美術館)、書に『蘭亭帖(らんていじょう)十三跋(ばつ)』(東京国立博物館)、『与中峰明本尺牘(よちゅうほうみょうほんせきとく)』(国宝)など。文集に『松雪斎文集』がある。なお、一族には画(え)をよくする者が多く、妻の管道昇(かんどうしょう)は墨竹の名手であった。[星山晋也]
『中田勇次郎編、外山軍治他解説『書道芸術 7 張即之 趙孟』(1972・中央公論社)』

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世界大百科事典内の趙孟頫の言及

【元代美術】より

…元時代が書画の領域が復古主義の時代,工芸のそれが過渡的な時代と呼ばれるゆえんである。
[書画]
 書画のジャンルに出現する復古主義は,この時代のはじめに登場する趙孟頫(ちようもうふ)によって方向づけられた。ただその性格は,書法と絵画では現れ方に微妙な相違がある。…

【書】より

…南宋時代に出た呉琚,楊万里,范成大らは米芾を学んだが,結局その皮相を得たにすぎず,わずかに張即之が禅の教養を背景として機鋒の鋭い書を書いた。一方,南宋の中ごろから宮廷を中心として晋・唐に帰ろうとする傾向が現れ,これがやがて趙孟堅を経て,元の趙孟頫(ちようもうふ)(子昂)らの復古主義へと受け継がれてゆく。 元代で傑出した書家は趙孟頫である。…

【書論】より

…米芾(べいふつ)も古法書を深く究明して,晋人の平淡天真に書の理想を求め,それをみずから血肉化することによって,因襲的な伝統派をのり越えることができた。元代の書壇では趙孟頫(ちようもうふ)らが活躍して一般に保守的な傾向が強く,古典を学習するための参考書が多く書かれたが,宋代の清新な書論は影をひそめた。 明代になると,董其昌によって革新的な書論が唱えられた。…

【篆刻】より

…元代になると,それまで開図書人という印判職人による古印の典型を失った,芸術性の乏しい篆刻を,風雅な文人芸として位置づける動きがおこった。趙孟頫(ちようもうふ)は《印史》を著し,円潤で含蓄のある玉筯文を採用することを主張した。吾邱衍(ごきゆうえん)(1268‐1311)は,篆刻に必要な知識を35条に要約した《三十五挙》を著し,秦・漢を学ぶことが必要であり,篆書を知り,まず篆法から入らねばならないと主張した。…

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