文字には,それを書き表すとき同一文字においていろいろな様式の字形をとることがあり,これを書体という。書体は字体と同じく使われる場合があるが,それを区別するために,字体は例えば,楷書の活字で宋朝(そうちよう)体,明朝(みんちよう)体,清朝(しんちよう)体などとあるような,同一書体中でのバリエーションと定義づける。ここでは中国に発生した漢字とそれをもとに日本で作られた仮名(かな)について論じる。
甲骨文の時代から現在に及ぶ漢字の書体の変遷を考えるとき,その流れを決定づけた事業として,その筆頭には秦始皇帝の文字統一をあげねばならない。これは,数百年間続いた戦国時代に,各地に割拠した諸侯たちがそれぞれ勝手に使用していた度量衡や車軌を統一したことの一環として行われたものである。これによって百家争鳴と称され文化的には栄えた戦国諸国に存在したであろうさまざまな文字はすべて廃され,さらに断行された焚書坑儒(ふんしよこうじゆ)によってそれを伝える学者も書物もほぼ滅んだ。その結果,秦を中心とする西方に伝わっていた大篆(だいてん)を整理くふうして作られた小篆一色に統一され,以後の書体の変遷はすべてこれから派生したものなのである。ただ,このときいったん滅びた文字も,ひそかに壁に塗りこめられたりして難を逃れたものが,前漢の武帝(在位,前140-前87)のころから再び世にあらわれた。これは東方の諸国で用いられたもので,古文と称されて現在まで伝わっている。
(1)漢魏六朝 書体の分類が中国で最初に試みられるのは後漢時代で,80年ころ成立の《漢書》芸文志で,古文,奇字,篆書,隷書,繆篆(びゆうてん),虫書の六体をあげる。次に,100年ころの成立とされる許慎《説文解字》叙には,秦の八体として,大篆,小篆,刻符,虫書,摹印(ぼいん),署書,殳(しゆ)書,隷書をあげ,新(しん)の六書として,古文,奇字,篆書,佐書,繆篆,鳥虫書をあげている。およそ書体を分類することは,それを試みる時点にみられる文字資料を形態,新旧,記録素材,用途等によって分類したもので,その分け方の基準や呼称もこのころはまだ統一されていない。この諸書体のうち,大篆,小篆,隷書(佐書)は日常使用された書体である。刻符,虫書(鳥虫書),摹印(繆篆),署書,殳書は,順に割り符,旗幟,印章,題榜,武器という特定の用途に使用する意匠文字の性質を帯びた応用書体である。
六朝時代にはこの意匠化した文字がはなはだ流行した。劉宋の王愔(おういん)《古今文字志目》は古書体36種として,古文篆,大篆,小篆,隷書,象形篆,科斗,殳書,繆書,鳥書,尚方大篆,鳳書,魚書,竜書,麒麟書,亀書,蛇書,仙人書,雲書,芝英書,金錯書,十二時書,懸針書,垂露書,倒薤書,偃波書,蚊脚書,草書,行書,楷書,藁書,塡書,飛白書などをあげている。このうち大篆,小篆,隷書,草書,行書,楷書,藁書などは小篆系の現在も通行の書体であり,他のものは篆隷を自然に存在するものに寓して意匠化した特殊書体で雑体と呼ばれる。この雑体は,梁の蕭子良《篆隷文体》にはさらに7種多い43種を数えるにいたる。
これら雑体書は漢代の奇字,鳥虫書と呼称された書体の内容をかなり伝え,由来のあるものと考えられ,まったく荒唐無稽な偽造物ではないと思われる。西晋の衛恒《四体書勢》によると,秦の始皇帝がそれまで各地で通行していた書体を小篆に統一した後に,焚書から免がれて世に出た書物があり,それらは古文(おたまじゃくしの形をしているため科斗書と呼ばれる)や策書と呼ばれるもので,その書体は自然現象のように生動する形勢をもっていたという。これと,魏の正始石経(三体石経)の古文・篆書・隷書の三体併記にみられるように,すでにいったんは滅びた古文がこの時期に体系的に復活し流行したことを考え合わせると,魏晋朝・北朝のころには自然の山川草木鳥獣虫魚などの多岐多様なすがたによって,書の美しさをとらえ表現しようとした思想があった。そして,それを反映して特定の用途に生き残っていた書体や再び世に出てきた古文をもとに,それを応用して装飾的意匠が加えられた結果,これらの雑体書と称される一群は生まれたものと思われる。雑体のうち,鳥書とか伝信書と呼ばれる書体は碑額や墓誌蓋の題額に多く用いられ,また彩色を施したものもある。鳥の羽根を張りつけて華美をこらした日本の東大寺正倉院蔵の〈鳥毛帖成文書屛風〉や〈鳥毛篆書屛風〉などはその唐代の実用例の遺品である。この雑体書の盛衰は文学における駢文(べんぶん)が,文辞の巧妙姸美を競って六朝に流行し,その余響が盛唐のころに及んだのと同一歩調をなしている。
(2)唐・宋 玄宗勅撰の《唐六典》は,古文,大篆,小篆,八分(はつぷん),隷書の五体をあげて,〈字体には五ある。一に古文,廃して用いない。二に大篆,ただ石経にこれを載せる。三に小篆,印璽(いんじ)・旐旛(ちようはん)・碑碣に用いる。四に八分,石経・碑碣に用いる。五に隷書,典籍・表奏・公私の文疏に用いる〉という。ここで隷書というのはいわゆる楷書の意である。玄宗と同時代人の張懐瓘は《六体書論》の中で,大篆,小篆,八分,隷書,行書,草書をあげている。開成石経を校勘したことで知られる唐玄度は《十体書》で,古文,大篆,八分,小篆,飛白,倒薤篆,散隷,懸針,鳥書,垂露の十体をあげている。北宋の夢英《十八体書》には,古文,廻鸞篆,彫虫篆,飛白書,薤葉篆,瓔珞篆,大篆,柳葉篆,小篆,芝英篆,竜爪篆,懸針篆,籀文(ちゆうぶん),雲書,塡篆,剪刀篆,蝌蚪篆,垂露篆をあげる。
以上からわかるように六朝宋のころには現在通行する篆・隷・楷・行・草の5種が出そろっている。唐玄度が雑体を少し並べて論じているのは,好奇的関心からの部立にすぎないと思われるが,夢英の方は,当時学問としてにわかに興った金石学の影響が強いと思われる。
現在使用されている書体はすべて小篆から派生している。小篆は許慎《説文解字》叙に,〈秦の始皇帝,始めて天下を兼ぬ。丞相李斯(りし)乃ち奏して之を同じくし,其の秦文と合せざる者は罷(や)む。斯は倉頡(そうけつ)篇を作り,中車府令趙高は,爰歴篇を作り,大史令胡毌敬(こぶけい)は博学篇を作る。皆(み)な史籀の大篆を取り,或いは頗(すこぶ)る省改す。所謂(いわゆ)る小篆なる者なり〉とその作成の経緯や名称の由来を記している。これは〈泰山刻石〉〈瑯邪台刻石〉等に見られる。繆篆は摹印,印篆ともいい,小篆を方形の中に入れるために曲線の代りに直線を使ったもので,隷書への移行段階を示している。〈権量銘〉に見られる。
隷書は篆書の実用書として発達した書体で,秦の程邈(ていばく)が獄中で作ったからその名があるという。その古い形を残す波磔のないものを古隷と呼び,〈五鳳二年刻石〉〈開通褒斜道刻石〉に見られる。八分は隷書の典礼用・公式用として装飾的な波勢をつけた様式の書体をいい,後漢に盛行した碑に最も一般的に見られる。八分の名の由来について,古意八分,新意二分とする説,また清の翁方綱の〈八字分背〉の説ほか,いろいろあるが,八の字のように互いに相そむいた勢を示すという翁方綱の説が多く支持されている。最近の発見で前漢の五鳳元年(前57)の木簡にも八分が見られることがわかり,〈前漢に八分なし〉の定説がくつがえった。草隷は隷書を早書きしたもので,後漢の趙壱の《非草書》にその名が見え,秦末に戦時の急ぎに間にあうように作られたという。近年前漢時代の木簡中の実用書に多く発見され,だんだんその実態が明らかにされているが,独立した書体としてその境界の定めにくいものである。行押書は用途の上ではまったくこの草隷を受けているわけで,その発生もその延長上に位置するものであろう。のちに楷書がきちんと整い,それを早書きにしたものを行書と定義づけると,西晋の〈李柏文書〉に見えるような行押書と,唐代以後のような行書のちがいをうまく説明できる。
楷書は正式の書という意味で,行や草のくだけた草率の意味に対して正書,真書をいうものである。これは隷書の変化発達したものとみるのは定説であるが,その変化の最大の要因は紙の発明とその書写使用に伴った用筆上の変化であろう。紙が墨を吸収するため,竹簡や木簡等のような墨乗りの悪いものに書くときのように逆入する筆の入れ方が不用になり省略された結果であると考えられる。またすでに行押書などは逆入しない段階に達していたことも,その生成をうながしたものと思われる。楷書は初唐の三大家(欧陽詢(おうようじゆん),虞世南,褚遂良(ちよすいりよう))によって典型が確立され,これを頂点として現在に及んでいる。
章草は前漢の元帝のとき,史游が〈急就章〉を作り,それがこの書体で書かれていたことから名がある。これは字画を簡略にして,各字が独立して連続せず,終筆を太く短かく八分のようにはねるところに特色がある。〈急就章〉は字を教えるためにつくられたものなので章草は史游が草隷を集大成した一種の標準書体と考えられる。草書は本来,書体の名称ではなく,早書きしたもの一般に使われていたと考えられる。ここでは章草が単体で書かれていたものから,しだいにつづけて書かれる筆勢をもつようになった書体をいうもので,すべての字を連綿したものをとくに連綿草といい,晋の王献之がその始祖という。後漢の張芝が草聖と称されているが,《淳化閣帖》に伝わる彼の書が縦横に大きく動いて書かれているのをみると,ある広さをもった紙などに書かれたものであることがわかり,草書の生成と紙の発明は縁の深いことが考えられる。
仮名は,日本語を表記するのに漢字の音を使用して,一字一音とする表音文字として作られた。漢字を真名ということから,この名がある。奈良時代は楷書にほぼ近い形で使用され,これを男手(おとこで),真仮名と称した。平安時代に女性がそれらを草書にして用い,現在の平仮名にみるような略体ができた。これは女手または草(そう)とも呼ばれる。片仮名は漢字の音をその楷書体の一部を使って表すもので,伊の偏のイでその音を示すようなものである。これは主に僧侶や学者の間で現在のように一様の字を用いるのでなく,かなり幅広く用いられていたが,明治になって現在の形に統合された。
→仮名 →漢字 →書
執筆者:田上 恵一
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広義には世界各国で用いられる文字の表現形式をいうが、わが国では一般に漢字および仮名の楷(かい)、行(ぎょう)、草(そう)などの形態をいう。
文字らしいものが現れるのは中国の黄河文明期であり、黄帝の時代に史官蒼頡(そうきつ)が鳥や木の枝などをかたどって文字をつくったのが始まりといわれる。しかし、これらはまだ文字というよりも符号に近いものであった。その後、殷(いん)代に殷文(亀甲(きっこう)や獣骨に鋭い器具で刻んだもので甲骨文ともいう)、周代には周文(鐘や鼎(かなえ)に筆で書いて彫ったもので、鐘鼎(しょうてい)古文ともいう)が現れ、文字らしい体裁ができた。さらに東周代には、石に刻まれた石鼓(せっこ)文が現れるが、宣王の時代に史籀(しちゅう)がつくった『大篆(だいてん)』という字書にこの文字の形式が用いられたため、大篆とも籀文ともいわれる。この大篆を筆写に便利に、点描を方正にしたものが小篆であり、これは秦(しん)の丞相(じょうしょう)李斯(りし)が始めたと伝えている。ついでこの時代に、始皇帝の罪を得た程邈(ていばく)が、獄中で大篆および小篆をさらに簡略化した文字をつくった。これが隷書(れいしょ)(古隷)で、ここに書体はいちおう確立したということができる。
隷書は前漢・後漢(ごかん)を通じて長い間、通用文字になったが、漢代には新しい装飾的な波勢をつけたので、これを後世、漢隷または八分(はっぷん)といって古隷と区別し、今日では普通、隷書といえばこの八分をさす。この八分から史游(しゆう)によって章草という新しい書体がつくられ、これがしだいに進化して、漢代末期には現在用いられているような草書になったのである。
また、後漢の初期には劉徳昇(りゅうとくしょう)によって行書がつくられ、同じく末期には楷書も生まれ、この楷、行、草の三つが今日用いられている基本的な書体となった。これらの書体は奈良時代に日本に伝わったが、この漢字の草書体を簡略化してつくられたのが仮名である。仮名の書体は平安時代に藤原行成(ゆきなり)によってその典型的なものができ、のち種々の改良が加えられて、日本特有の書体が生まれた。また、歌舞伎(かぶき)に用いられる勘亭流をはじめ、寄席(よせ)文字、相撲(すもう)文字、さらに活字に用いられているデザイン化された特殊な書体がみられるが、いずれもいままでの書体に変化を加えたものである。
[小松茂美]
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出典 (株)朝日新聞出版発行「パソコンで困ったときに開く本」パソコンで困ったときに開く本について 情報
…近代になりオフセット(平版)印刷,シルクスクリーン(孔版)印刷,グラビア(凹版)印刷を含めた印刷技術全般とその印刷物を指すようになり,さらにそのうち文字が主体になっているものの印刷表現を主にいうようになった。文字は鉛活字によるものが長い間主流であったが,最近は写真植字によるものが加わり,手書き文字などを含めて多種の書体が登場して,タイポグラフィーの表情を豊富なものにしてきた。タイポグラフィーの主要素である書体,サイズ,配列,用紙,インキ,印刷方式の選択や全体のレイアウトを決定する作業を行う専門家をタイポグラファーtypographerと呼ぶ。…
…ギリシア文字の(シグマ)は語末以外ではσという字体が用いられる。なお,草書,行書,楷書とか,ゴシック,イタリック,とかいうような文字体系の全体にわたる字体のちがいは〈書体〉といわれる。一方,字をその構成要素に分析して,たとえばAは,aと〈大文字化〉,という二つの要素から成るとして,それぞれを〈グラフィームgrapheme(字素)〉と呼ぶ試みもなされ,漢字の声符,義符などの構成要素もそのような扱いをしようとする試みもあるが,分析の客観的規準を見いだすのが困難で,研究の進展がみられない。…
…したがってその起源は文字の発明とともにあり,レタリングの歴史は手書き文字の歴史であるといってもよく,そして用具と用材によって字形が異なることがその特色であった。漢字を例にとれば,隷書体は秦代(前221‐前207)に生まれたが,製紙術発明以前で竹片(竹簡)や木の札(木簡)に硬い筆毛で書いたため,文字の最後の,筆毛がはねる形が波形になり,これが隷書体の特徴になった。楷書体は製紙術が発明されたことに応じて確立され,筆毛もやわらかくなり,線の強弱が表現しやすくなった。…
※「書体」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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