日本歴史地名大系 「村井氏館跡」の解説 村井氏館跡むらいしやかたあと 長野県:松本市小屋村村井氏館跡松本平の桔梗(ききよう)ヶ原(はら)北部、旧松本藩領村井町(むらいまち)村に接している。村井氏は勅旨牧の埴原(はいばら)牧に拠った埴原氏と考えられ、その本貫は古代氏族の大伴氏と推測される。埴原氏は埴原から村井に下ったもので、村井氏を称し、ここに居館を持ったと推定される。戦国末、武田氏が松本平に進出することによって、それまで府中小笠原氏に属していた村井氏もついにこの地を追われたが、その居館跡を一時武田氏は松本地方制圧の拠点とした。天文一七年(一五四八)「高白斎記」に「十月二日酉刻向巳之方、村井ノ城ノ鍬立致高白候、四日御普請初」と出ており、また天文一九年一〇月一〇日の条には「十日屋形様村井へ御着城、(中略)酉刻イヌイノ城ヲ攻敗リ、勝鬨御執行、戌刻村井ノ城ヘ被納御馬候」とみえている。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by