東久邇聡子(読み)ヒガシクニ トシコ

20世紀日本人名事典 「東久邇聡子」の解説

東久邇 聡子
ヒガシクニ トシコ

大正・昭和期の皇族 明治天皇第九皇女。 東久邇稔彦夫人。



生年
明治29(1896)年5月11日

没年
昭和53(1978)年3月5日

別名
幼名=泰宮 聡子(ヤスノミヤ トシコ)

主な受賞名〔年〕
勲一等宝冠章〔大正4年〕

経歴
明治天皇の第九皇女。麻布御殿で教育を受け大正4年東久邇宮稔彦王と結婚。夫稔彦王の陸軍中将昇進により、陸海軍将校夫人会総裁を務めた。稔彦王は戦後昭和20年8月初めての皇族内閣総理大臣となり、敗戦処理に当たったが同年10月GHQ指令で総辞職。22年皇籍離脱、事業失敗などで、共に苦労された。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「東久邇聡子」の解説

東久邇聡子 ひがしくに-としこ

1896-1978 明治天皇の第9皇女。
明治29年5月11日生まれ。母は典侍園祥子。大正4年東久邇宮稔彦(なるひこ)王と結婚。第二次大戦後,夫の東久邇宮は初の皇族内閣を成立させたが,2ヵ月で総辞職。皇籍を離脱し,夫の事業失敗もかさなって苦難時期を経験した。昭和53年3月5日死去。81歳。幼称は泰宮(やすのみや)。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「東久邇聡子」の解説

東久邇 聡子 (ひがしくに としこ)

生年月日:1896年5月11日
大正時代;昭和時代の皇族
1978年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

今日のキーワード

プラチナキャリア

年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...

プラチナキャリアの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android