東乙畑村(読み)ひがしおつはたむら

日本歴史地名大系 「東乙畑村」の解説

東乙畑村
ひがしおつはたむら

[現在地名]矢板市乙畑おつはた

越畑こえはた村の南、あら川左岸に位置する。中世には塩谷氏が築城した乙畑(幡)城があった。「那須記」によると天正一三年(一五八五)七月、喜連川きつれがわ城攻撃を前に烏山資晴勢が攻め落城、当時は乙幡(塩谷)孫七が居城していた。天正一八年一一月一六日の塩谷義上預ケ状(滝田文書)で、同城および馬上衆ほかの人数、大筒・矢などが乙幡弥五郎に渡されている。近世はおおむね喜連川藩領。慶安郷帳では高二三〇石余、田方一七〇石余・畑方五九石余。元禄郷帳では高三〇二石余、旧高旧領取調帳では高四七七石余。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

プラチナキャリア

年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...

プラチナキャリアの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android