西乙畑村(読み)にしおつはたむら

日本歴史地名大系 「西乙畑村」の解説

西乙畑村
にしおつはたむら

[現在地名]矢板市乙畑おつはた

東乙畑村の西、あら川左岸に位置する。近世はおおむね喜連川藩領。慶安郷帳では高二〇〇石、田方一六〇石余・畑方三九石余。元禄郷帳では高二一五石余、旧高旧領取調帳では高三二三石余。元禄八年(一六九五)の会津中街道の開通問屋が置かれた。宝暦四年(一七五四)奥州白河町穀屋一同の原方通商米差止めに対する二二ヵ村二六人の米問屋連署訴状(渡辺太文書)に当村の太郎右衛門が署名している。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

プラチナキャリア

年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...

プラチナキャリアの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android