東大工町・西大工町(読み)ひがしだいくまち・にしだいくまち

日本歴史地名大系 「東大工町・西大工町」の解説

東大工町・西大工町
ひがしだいくまち・にしだいくまち

[現在地名]富山市千石町せんごくまち二―三丁目・山王町さんのうちよう

山王町の南側に並行し、東西に延びる両側町。古くは大工町一町であったが、のち富山城の大手先、越前えちぜん町・壱番いちばん町の境界付近から南に延び、千石御蔵に至る筋で東西に分けられた。町名のとおり富山城下の大工が居住した。寛文六年(一六六六)の御調理富山絵図に大工町拝領地と記載され、前田利次による町割当初からの町。安永八年(一七七九)の書上(「町方旧記抜書」前田家文書)では東大工町の本家数一六・貸家数九、西大工町の本家数二三・貸家数二〇。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

関連語 越前

2022年度から実施されている高校の現行学習指導要領で必修となった科目。実社会や実生活で必要となる国語力の育成を狙いとし、「話す・聞く」「書く」「読む」の3領域で思考力や表現力を育てる。教科書作りの...

現代の国語の用語解説を読む