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前田利次 まえだ としつぐ

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

前田利次 まえだ-としつぐ

1617-1674 江戸時代前期の大名。
元和(げんな)3年4月29日生まれ。加賀金沢藩主前田利常(としつね)の次男。母は徳川秀忠の娘子々姫(ねねひめ)。寛永8年松平姓をあたえられる。父の隠居に際し10万石を分与され,16年越中富山藩主前田家初代となる。藩法の制定,新田開発,富山城下の整備など,藩の基礎をきずいた。延宝2年7月7日死去。58歳。幼名は千勝丸。

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朝日日本歴史人物事典の解説

前田利次

没年:延宝2.7.7(1674.8.8)
生年:元和3.4.29(1617.6.2)
江戸時代外様大名。越中国富山藩(富山市)初代藩主。前田利常の次男,母は徳川秀忠の娘珠姫。寛永16(1639)年金沢藩主前田光高の襲封のとき,父利常の遺領のうち越中国婦負,新川両郡および加賀国能美郡のうちで10万石を分与され,百塚(富山市)に居所を構える。万治3(1660)年富山(富山市)に移り,翌寛文1(1661)年天守および櫓堀などの造営を幕府より許される。富山藩初代として藩の基礎固めに尽くし,富山城下町の整備を行う一方,金沢本藩に倣う法令の整備や農政としての改作仕法も整備し,明暦1(1655)年には領内一斉に村御印を交付している。

(和泉清司)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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世界大百科事典内の前田利次の言及

【富山[市]】より

…富山県の県庁所在都市。県域の中央部に位置し,富山湾に臨む。1889年市制。人口32万5375(1995)。県の政治・経済・文化の中心をなす。市域は富山平野のほぼ中央にあり,神通(じんづう)川と常願寺川の形成する複合扇状地と西側の呉羽(くれは)丘陵からなる。中心市街地は,近世には富山藩の城下町として栄えたところで,北陸街道と飛驒街道の分岐点にあたる交通の要衝でもあった。鉄道は1899年北陸本線富山~敦賀間,1934年高山本線が開通して分岐点となり,関西,中京とのつながりが強められた。…

【富山藩】より

…越中国富山に藩庁を置く外様中藩。加賀藩の支藩。1639年(寛永16)加賀3代藩主前田利常が加賀小松に隠退し,次子利次を越中富山に分封して10万石を与えた。利次は富山の近郊百塚(ひやくづか)に新たに築城する予定で〈百塚侍従〉の称号を得ていたが,百塚の築城がならないまま,かりに富山の旧城に入城した。富山藩10万石の領域は,越中婦負(ねい)郡6万石,同新川(にいかわ)郡のうち2万石,加賀能美(のみ)郡のうち2万石と分散していたが,59年(万治2)に本藩と領地交換して,富山藩は富山を居城とし,新川郡のうちの富山近郊と婦負郡に領地をまとめた。…

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