前田利次(読み)まえだ としつぐ

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「前田利次」の解説

前田利次 まえだ-としつぐ

1617-1674 江戸時代前期の大名
元和(げんな)3年4月29日生まれ。加賀金沢藩主前田利常(としつね)の次男。母は徳川秀忠の娘子々姫(ねねひめ)。寛永8年松平姓をあたえられる。父の隠居に際し10万石を分与され,16年越中富山藩主前田家初代となる。藩法制定,新田開発,富山城下整備など,藩の基礎をきずいた。延宝2年7月7日死去。58歳。幼名は千勝丸。

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367日誕生日大事典 「前田利次」の解説

前田利次 (まえだとしつぐ)

生年月日:1617年4月29日
江戸時代前期の大名
1674年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の前田利次の言及

【富山[市]】より

…富山県の県庁所在都市。県域の中央部に位置し,富山湾に臨む。1889年市制。人口32万5375(1995)。県の政治・経済・文化の中心をなす。市域は富山平野のほぼ中央にあり,神通(じんづう)川と常願寺川の形成する複合扇状地と西側の呉羽(くれは)丘陵からなる。中心市街地は,近世には富山藩の城下町として栄えたところで,北陸街道と飛驒街道の分岐点にあたる交通の要衝でもあった。鉄道は1899年北陸本線富山~敦賀間,1934年高山本線が開通して分岐点となり,関西,中京とのつながりが強められた。…

【富山藩】より

…越中国富山に藩庁を置く外様中藩。加賀藩の支藩。1639年(寛永16)加賀3代藩主前田利常が加賀小松に隠退し,次子利次を越中富山に分封して10万石を与えた。利次は富山の近郊百塚(ひやくづか)に新たに築城する予定で〈百塚侍従〉の称号を得ていたが,百塚の築城がならないまま,かりに富山の旧城に入城した。富山藩10万石の領域は,越中婦負(ねい)郡6万石,同新川(にいかわ)郡のうち2万石,加賀能美(のみ)郡のうち2万石と分散していたが,59年(万治2)に本藩と領地交換して,富山藩は富山を居城とし,新川郡のうちの富山近郊と婦負郡に領地をまとめた。…

※「前田利次」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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